藜(アカザ)の楽しみ

藜(アカザ)の楽しみ杖


 楽しかるべきシルバー     人生に「危険因子」が     いっぱいの杖の話       これから杖を用いたい方    現在、杖を用いている方に   是非、読んで頂きたい話です 俳聖、松尾芭蕉。創作者、平賀源内、 歌人大愚、良寛。名優、市川団十郎等。  往時の知名な文化人を始め、多くの 人が愛用した「あかざくきのつえ」は、 楽しみながら中風等の予防を兼ねた先 人の知恵でした。           しかしながら、現在市販されている 「杖」には、大きな「危険因子」が潜 んでいることを、多くの人に知って頂 きたいのです。          

 はじめに                   危ない杖を避けて                           楽しい杖を求めよう       私は、八十才を迎え老人と言われる齢になりましたが、お陰様 にて健康であり、杖のお世話になっておりませんが、散歩の時な どに妻の杖を借りてみると確かに手足が軽くなり、散歩がより楽 しくなることを味わっております。               近年、わが国は高齢者が急速に増加しております。当然のよう に杖を愛用する人も急増しております。また、近年のことですが 杖を使っている複数の人から、急に姿勢が悪くなった、腱鞘炎に なった等と、話かけられました。                その頃、筆者の家内が悪質な眼病を患い、杖などに気をかけて いたころでした。                       たまたま、広辞苑(辞典)を引いていた時「藜茎の杖」を知り 著しく興味を覚えて以来、古典的資料(後述する)等を垣間見て 一般健常者が初老の頃になって用いる杖には、       ”楽しい杖と危ない杖”  の二通りがあり、古典的記録には杖の醍醐味を賞賛し、また、 危険な杖には気を付けなさいと教えております(詳細は後述)。  人生功なりて、高齢を迎え幸い健康であり更なる人生の楽しみ 迎える頃に、多くの人は杖の楽しさを知るようです。 このように楽しさを求めるための杖も「選び方、用い方」を誤る と、大きな不幸を招く恐れのあることを知る人は少ないようです。  しかも、現在市販されている杖の多くは限りない「危険因子」 が潜んでいることを提言し、  年々歳々、増加している杖の愛好者各位の「至福」を希って書 きました。  杖の功罪を改めてお考え頂く機会となれば幸いです。     追記 なお、全文を通じ転載資料は原記録のままの       ほかは、非才な筆者の検証と私論です。        御指摘頂ければ訂正にやぶさかでないことを申添       えます。               鳴 海 徳 直                   目    次               第一章 「藜茎の杖」の古典的資料 一 辞典および古典的資料 二 不合理の検証  第二章 杖の分類 一 現在市販されている杖  (一) 白杖  (二) 紳士用の杖  (三) No1 楽しみ杖  (四) No2 楽しみ杖 二 一般杖の型式(把握部)と仕様  (一) 円玉型  (二) 椀型  (三) 根薫の自然型  (四) 丁型  第三章 丁型杖が好まれる理由と問題点 一 選定時の姿勢 二 好まれる理由 三 円玉型や椀型などが疎まれる理由 四 短い丁型杖の問題点 注@A 五 丁型杖の総括 六 提言  第四章 正しい杖(楽しみ杖)の選び方と用い方 一 楽しみ杖の定義 二 楽しみ杖の選び方  (一) 杖の長さ  (二) 杖の重量 三 杖の把握方法  (一) 根蕪型  (二) 円玉型  (三) 椀型  (四) 丁型 四 楽しみ杖の用い方  (一)杖の持ち方と姿勢  (二)歩き方 1・2  注 @AB  終 章 私と藜との出会い       新しい「藜茎の杖」の誕生   第一章 「藜茎の杖」の古典的資料 一 辞典および古典的資料の事例  (一) ことわざ大辞典  小学館刊行(@〜Gの出典)    @ 藜の杖をつくと中気を病まぬ      老人が藜の杖を常用すると、中風にかからぬという俗説があった。  筆者注  この俗説の主旨は、杖の把握部である根蕪部は凹凸があって掌への      適度な刺激(胡桃握り効果)は血行を良くし、脳を活性化かせ、また      杖のしなやかさは全身運動につながり、中気などを予防する主旨から      と理解されます。    A うれしさは 我丈過ぎし あかざ哉 (家 足)    B やどりせむ あかざの杖に なる日まで (芭 蕉)    C あかざの杖 アカザの茎で 作った杖 (季節 夏)    D 「いかでかは この世の闇を照らさまし 光あかざのつえなかりせば」      (笈日記)    E 藜の杖で転ぶと三年生きぬ     俗説 アカザの茎で作った杖は、軽くて堅く、老人の持物とされていた。    筆者注 Eについては詳細後述します。    F 藜の杖をつく、あぶなっかしく転びやすいこと、物事に失敗しがちなこ     と、また老人の形容にも言う。    G 「あかざの杖引きずりて 新道通りをうそうそ歩行れば」(談議本当世     下手談議四、鵜殿退ト徒然草講談之事。)  (二) 広辞苑      岩波書店刊行(H〜Jの出典)    H あかざの杖をつく アカザの茎で作った杖をつく、老人のさまをあらわ     す。    I 「左に藜の杖をつき 右に羽扇をもちて」                   風流志導軒伝(筆者注 平賀源内)    J あかざ(藜) 茎は乾かして老人用の杖とする。  (三) 日本古典文学大系 岩波書店刊行(K〜Lの出典)    K ゆくあきの  あわれをたれに かたらまし あかざこにれて かへる      ゆうぐれ。    沙門良寛七十四才       日本古典文学大系第93巻 近世和歌集     注 この歌の要約、「あかざの若葉は食用に供する、過ぎゆく秋の淋しさ      を誰に話したらいいのだろうか、あかざを摘んで籠に入れて帰ってくる      夕暮れに、」  筆者注 このように歌の意味が解釈されてありますが、あかざ葉の食用は初夏の      頃迄に限られる。故に、歌のあかざは食用のあかざ葉ではなく、「あか      ざ茎の杖」と、不遜ながら解してみると、托鉢を終えた、良寛様が秋の      夕暮れを淋しく思いつつ愛用のアカザ茎の杖」をつきながら、飄々と、      また一人とぼとぼと帰る云々。  結論 良寛様は、日常「アカザ茎の杖」を愛用していた著名な文化人の一人だと     筆者は思っております。    L 前略、「当年正月廿一日、なんとみな様またさむじやございませぬか、     かじけはもとより御ぞんじの、納豆烏帽子ぬぎすてて、黒い頭巾に鼠の     胴服、あかざの杖に高あしだ、高いはおやじが譲の鼻、はなが見たくば     秋葉へござれ、春は秋葉の花盛。」    日本古典文学大系第百巻 江戸笑話集落噺「無事志有意」立川談洲志有意  筆者注 往時の有名な歌舞伎役者、五代目市川団十郎も「あかざ茎の杖」の愛用     者であったことを証している記録です。     以上13例をあげました。その内、良寛、芭蕉、五代目団十郎、平賀源内ら     を始め11例が賞賛型、または期待型ですが、僅か2例乍ら、その内容、F     は「藜の杖」は危なっかしく、転びやすい、また、物事に失敗しがちなこ     との喩えとして警告と言うよりも、注意程度ですが、Eは人の死を予言す     る俗説としての警告です。このように生と死、全く相反する不合理な事例     は、筆者が非才であるための間違いかとも思い、識者に尋ねましたが誰も     が関心を示してくれませんでした。それ故に筆者は私の性格もあり、私が     乗った舟だ、答を求めることは私の仕事と思い、その疑問の解決に挑みま     した。 二 不合理の検証     前述の不合理の解決方法として、文学的な方面には、非才な私には無理で    すので「アカザ」を栽培し、杖を作って試用しつつ検証を重ねることにしま    した。     およそ三年を経て「アカザ」の栽培も合格点に、「杖」もまあまあの出来    映えになった頃のある日の出来事です。     毎日、運転している愛車を車庫に入れようとしてバックした時です。車庫    に置いてあった「アカザ茎と杖」が重なって倒れていることを知らずに後輪    で轢いてしまったのです。バリバリという激しい音がして、「しまった」と    思ったのも後の祭りでした。車から降りて「アカザ茎や杖」の惨害を見て一    瞬悲しくなりアカザの研究もこれまでと思い、後片付けも嫌になりそのまま    ほっとおきました。その翌日のことです。「砕けたアカザ茎や杖」を手にし    た時「目から鱗が落ちる」と言う諺があります。正にその通りでした。この    事故がなければ、アカザ杖を用いて転んで怪我をする日まで気が付なかった    のではあるまいか。目の前のアカザの茎は竹のように縦割れした外、皮部と    破砕した内部(中芯部)とに無残にも、粉砕されておりました。これが奇縁    となって私の心の中に蟠っていた「アカザ茎の杖の不合理性」はこの事故を    契機として解明したのです。アカザ茎の杖はあらゆる面で優れており賞賛さ    れるのは当然であり、その反面、警告されることも当然と思う。これまた、    重ねての不合理のような不合理でないことは、以下にその理由をAとBに分    けて説明いたします。     A 「アカザ茎の杖」は使用開始後、相当期間は第一に比類なき軽さ、そ      して、しなやかさのある弾性、加えて把握部(根蕪部)の独特な凹凸が      掌へ及ぼすマッサージ効果があります。その結果、血行を良くし、また      脳神経を適宜に刺激いたします。このような長所は「アカザ杖」の本質      であり期待されて至極当然であります。     B しかるに使用開始後、相当期間を経ると、茎の乾燥が進み中心部(鬆      状の繊維質)が杖として使用中に受ける衝撃と弾性的震動の繰り返しに      より破砕化が進み、茎は外皮部のみに空洞化され脆弱化するまま使用し      ていると、ある日突然、歩行中、杖をついた時に折損し、前のめりに倒      れ、大きな人身事故に連なる恐れがあります。結論から申し上げれば、      前述Aのみを知る人はこれを賞賛し、Bまで知った人はこれを警告した      ということではないでしょうか。       筆者は、偶然のことから文学的に知った「アカザ茎の杖」にかかわる      不合理性を検証し、その原因を明らかにした事に聊か満足しつつも、研      究中に知った事ですが、現在杖を使っている多くの人は、その杖の形式      や用い方により、大きな「危険因子」が潜んでいることを知らずに満足      されている方が多くおります。       筆者は、私が知ったこの「危険因子」を警告申し上げることは不遜と      も思いながらも自己の責務と思われてならないのです。       以下の章は前述した「アカザ茎の杖」に関連し、検証した事例などに      ついても詳述いたします。   第二章 杖の分類など 一 現在市販されている杖  (一) 白い杖      高度の視覚障害者専用の杖で把握部の型や用い方はほとんど理想に近い     ようです。一般の健常者用と異なり細身で軽く、長尺であり頂部は滑らか     な円玉型が多い。使用者と医師等と意見調整されて造られたため、使い勝     手は良いが、石突部、また、全体が金属製のものもあり、これは「落雷へ     の配慮」が足りないと思われます。  (二) 紳士用の杖・・ステッキ      この杖は、明治の後期より昭和初期にかけて服飾文化などに関連し欧米     より輸入された杖で、歩行補助具と言うよりも紳士の装身具とし流行した。     紳士、政治家、金満家などに好まれ、漆塗や螺鈿加工されたものが多い。  (三) No1楽しみ杖・・仮称      杖がなくとも歩行できる初老の健常者が歩行を楽しむための杖で、筆者     は、楽しみ杖と呼んでおります。近年の高齢化社会に伴い利用者が最も急     増している杖です。  (四) No2楽しみ杖・・仮称      No1の楽しみ杖の愛用者で、特に短い丁字型杖を常用しており、立ち居     振舞は自由に出来るが、経年するに従い上半身の前屈度が進行しつつある     人、また、その恐れのある人が用いている杖です。   注 No1、No2の楽しみ杖は別段の区分はされておりませんが、一般にもっと     多く使われていますから、本文では一般杖と称しております。      この一般杖はその型式や用い方などにより優れた杖もありますが、また     多くの問題点が潜む杖も多い。これを明らかにし各位のご批判を仰ぎたい     ことも、本文の目的のひとつであります。 二 一般杖の型式(把握部)と仕様    一般杖の主体は通常一本の棒状であり、先端の路面に接する部分を石突部と    いい、上部を把握して用いられます。この把握部について、  (一) 円玉型      頂部に丸い石などを飾りに付けた杖で、前述の紳士用の杖に多い、数は     少ないが一般杖にも用いられている。  (二) 椀 型      棒状の上部を椀型(洋傘の柄を逆さにした型)も前述の紳士用の杖に多い     が、数は僅少です。また、一般用杖にも用いられる。  (三) 根蕪の自然型      第一章に詳述した「藜茎の杖」のことで棒状の茎に連なる根蕪の部分を     把握する型です。古来より流行し、また、頽廃が繰り返されている杖です     が、筆者が前述の如き検証を経て工夫改良し、一般杖として二十一世紀に     もっとも期待する杖です。  (四) 丁型(「鈎型も含む」)      詳細は後述しますが、最近大流行している型式で素木な丸木棒を丁型に     組んだ大衆向けの杖で、総じて長さ(高さ)が本人の臍部以下の短い杖が多     く用いられており、将来に「危険因子」が潜在(詳細後述)していることに     気を付けて頂きたい杖です。  注1  把握部の形式は、かつては椀型および円玉型が多かったのが近年急激に     市場から消えつつあるようです。  注2  把握部の丁型は先年まで、病人(怪我人)用の松葉杖に至らぬ程度の病人     用で、一般健常者用の杖ではなかったとのことです。   第三章 丁型杖が好まれる理由と問題点   近年、一般健常者が求める杖は、ほとんどが丁型杖です。筆者が杖の売場で判っ  たことは、   杖の購入者は、杖を手にして立ち止まったままか、あるいは二〜三歩程度のテ  スト歩行で売場店員との対話も少なく安易に杖を選んでおります。   その型式は、百パーセント丁型でした。何故、丁型が好まれるのでしょうか。  一 選定時の姿勢    健常者が杖を選ぶときの姿勢は、少し前屈みになって、猫背の人は更に少し   猫背になって、また、腰の曲がっている人は更に少し腰を曲げて、杖を体のや   や前方に位置し、その前方一〜二メートルの床面を見つめながら、しっかりと   丁型部を握っている人がほとんどでした。  二 丁型杖が好まれる理由    前述のような姿勢にて、把握されている杖の丁型部に掌をやや水平に被せる   ように、また、杖に寄りかかるように握るための安定感に加えて征服感を味わ   えるなどが大きな理由のようです。このような姿勢にて選ばれる杖の長さは、   必然的に短く、購入者の臍部以下の杖が求められております。  三 円玉型や椀型などが疎まれる理由    前述の丁型杖より長く、また把握部も高く、かつ不明確であり、握り方も丁   型のようにしっかりと握られないから安定感が劣る。    加えて、売場の店員も杖に関する知識は少なく、また、客も無知識同様であ   るため、健康上好ましい円玉型や椀型の長尺物が疎まれるようです。  四 短い丁型杖の問題点    昨今は街角で、また、病院などでも「丁型杖」が圧倒的に多く見かけるよう   になりました。その人たちが杖を用いている時の姿勢は、正常な人も猫背に、   腰曲がりの人も皆一様に必要以上に「前屈み」の姿勢にて杖を用いております。    その杖の長さは、本人の臍部、また、それ以下の「短い杖」が多いことは、   これらの人が時おり背伸びをしようとする姿から容易に判りました。   注@ たまに自家製らしい長尺の杖を用いている人を見かけます。これらの人     は姿勢もよく、いかにも健康人らしく見えます。      短い丁型杖を用いている人はいかにも半病人らしく見えることは、筆者     の僻目ではなく、誰でも注意すれば容易に理解されることです。   注A 前屈姿勢と間接部などへの負担について      立っている人が、軽くお辞儀をする程度でも腰椎にかかる負担は体重の     二倍、また、階段を昇降する時に腰にかかる負担は体重の七〜八倍と言わ     れております。  五 丁型杖の総括    杖を用い始める人は総じて、初老の人であり、また「前屈み気味の姿勢」の   人が多いことは当然と思われますが、これらの人達が、初めから、短めの丁型   杖を使用し経年すれば「前屈姿勢」は必然的に進行し、手首、肘、肩、腰など   に更なる負担がかかるようになることは陶然と思われます。    このように「丁型杖」の問題点を総括すると、筆者は、     短い「丁型杖」を常用すると『丁型杖症候群』と言われるような、危険因    子が潜んでいる。    と思うようになりました。     加えて、弾力性のない杖で金属性のような堅い石突部が路面と接触する度    に発生する衝撃波が脳へ伝わることの繰り返しは、古い時代の俗説に「中風    を病む」などと伝えられているように無視出来ないのではないかと思われま    す。  六 提 言     以上の他、本文には、医学に無知な筆者がいささか杖にかかわるようになっ    て知り得た問題の大きさを恐れ、憂いながらの素人の結論はご容赦頂き、こ    れらの問題は、医学関係者、また、識者の範疇と思われます。故に、関係者    各位に対処すべきことを提言申し上げたいと存じます。   第四章 正しい杖(楽しみ杖)の選び方と用い方  一 楽しみ杖の定義     筆者は、非才にして、杖の定義を知りませんから、次のことを一般杖につ    いて正しい杖(楽しみ杖)の定義として、私論を述べたいと存じます。     「一般の健常者が初老の人生を楽しみながら愛用する杖で、長い間常用さ    れても危険因子などの恐れのないもの」     なお、筆者が、正しい杖を何故、楽しみの杖と呼ぶのか。その呼称の原点    は、聖僧大愚良寛の托鉢姿そのものにあります。良寛様の托鉢姿の肖像や絵    画、あるいは、不老不死の仙人画、南宋画などにも良寛様と同じように長い    杖を楽しむように抱いている情景が描かれているからです。                             閑 話 休 題    二 楽しみ杖の選び方     杖は、実用面と嗜好面を兼ねておりますから本人の好みなどもあり、「こ    れに限る」と言うものではなく各位が型式、寸法、使用感度、見ばえおよび    将来の危険因子などを考慮して選ぶことが大切でしょう。なお、型式や危険    因子などは、すでに前に述べてありますから、本項では長さ(高さ)と重量    について述べます。   (一) 杖の長さとは常識的には棒状の下部先端から上部先端までの長さのこと     を言います。楽しみ杖の長さの基準を実用面から求め、本人の体躯や好み     により若干の差があるとしても、普段の姿勢にて立ったまま杖を垂直に立     て路面より把握部までの位置とし、その位置は本人の乳首(男性)付近に把     握した親指の先端が達する位が望ましい。      しかし、人は初老にもなれば(一部前述)、健常者でも多くの人は多少     なりと前屈姿勢になり、猫背や腰曲りが起こってまいります。これらの健     常者が自分の臍部以下の短い杖を常用すれば、必然的に前屈度は進行し、     何等かの「危険因子」が増加することは明らかと思われます。現在、前屈     みの人は少しでも身体を起こす位の寸法の長い杖が望ましいでしょう。   (二) 杖の重量      これは杖の把握方法や、用い方、また、本人の健康状態にもよりますが、     可能な限り軽い方が好ましいようです。     とすれば、「藜茎」の重量は木の二分の一程度ですから、もっとも好まし     いようです。  三 杖の把握方法     杖の把握方法は、把握部の型式によって異なりますが、総じて、軽く握る    (ぶらさげる)程度が好ましいようです。その手法について、   (一) 根蕪型・・親指と人差指にて、水平に軽く輪を造り、輪の中に茎を通し     根蕪部の引っかかる位にぶらさげ、親指を上にして他の三指を人差指に添     えるように握る。   (二) 円玉型・・前(一)に準じる。   (三) 椀 型・・人差指に椀型の中心部をぶら下げ、半円型の棒上部方向へ親     指を上から、他の三指を人差指に添えるように握る。椀型部の先端は前方     へ向けている。   (四) 丁 型・・この型は第三章に詳述しているので省略する。  四 楽しみ杖の用い方     人は二本の足を交互に前に進めながら歩きます。これに杖を用いると三本    足になります。健常者の歩行は二本足が主力であり、病人や怪我人、また、    習慣などにより杖に頼らなければ歩行困難の人々と異なり、初老の頃よりの    身体の老化もあって杖があると楽しく歩ける、そのための一本足とお考え下    さい。   (一) 杖の持ち方と姿勢      杖の把握方法(持ち方)は、前の三の通りです。何れの型式でも、親指     と人差指で軽く輪を造り、杖を輪の中に軽くぶら下げながら、親指を上に     して他の三指を人差指に添わせるように持つことが基本です。体の姿勢は     普段のまま立って腕をダラリと下げ前腕を軽く前方へ上げ、杖を持った掌     は胸部(男性の場合、乳部の下に親指がある位)の脇付近にあって杖をブ     ラブラさせている位が好ましい。   (二) 歩き方     1 ブラブラさせた杖を軽く前に握り、同時に左右何れかの足を前へ踏み      出す。その足型と同位置か前方10cm未満の路面に杖の石突をあてる。こ      の時、肘は数センチ前へ振れている。     2 次に、片方の足を前へ進め体と杖が垂直になり、そのまま広報へ流れ      るようになるとき優しく杖に力を添えると、しなやかさのある杖は、戻      り弾性が身体を少し前へ押してくれるようになる。次に、杖を前へ出す      ときは杖を軽く引きずるように浮かせて路面に石突を当てる、の繰り返      しです。     注@ 歩くためには、自分の足、腰が主力です。杖は楽しむための介添え       えです。        故に、古文には、杖を用いているときの様子を「杖を引きずりて」       と記録されております。     注A 杖を用いるときは、普段の姿勢、又は若干反身位がよいでしょう。       また、前屈みの人は少し起し気味にされることが大切です。     注B 一番大切なことは歩行中の杖は、右手、左手と交互に用いることで       す。   終 章  私と藜との出会い     新しい「藜茎の杖」の誕生     縁は異なもの、と言う諺がありますね。私と「藜(アカザ)」との出会い    いろいろでした。     垂乳根の母は、男子四人、女子五人の子を産み、九人とも無事成人させた    気丈な母でした。九人のうち完全母乳で育ったのは筆者のみで、他の八人は    近所の貰乳やミルクなどで育てられたと聞いております。     それ故か、否かは知りませんが、母はなにかにつけて他の兄弟と異り私に    用をいいつけていたことは、今でも記憶に鮮やかです。     日常、多忙な母の唯一の慰安は食用の野草取りでした。筆者を供として春    の蓬取りに始まり、初夏は松露そして、秋には茸やいなご取りでした。これ    らの途中で今でも記憶している食用野草には、ハコベ、ナズナ、タンポポな    どの中にアカザもありました。そしてアカザは大きくなると杖として使える    ようになると教えられたことが始めての出会いでした。     当時、我が家には若干の野菜畠があり、これも筆者が母の手伝いをしてお    りました。その頃です。二才年上の兄が「アカザの杖を作って小遣いにする」    と言ってアカザの苗を十本ほど植えたことを記憶しております。     その後、満二十才になると当時は誰でもそうであったように、帝国軍隊の    一員として仙台へ、そして、北方領土のエトロフ島にて終戦。ソ連軍の捕虜    となり昭和23年(1948)の暮れにサハリン(樺太)から復員するまでの間、    ソ連軍より支給される食料不足を補うための野草類として蕗、茸、タンポポ、    ハコベ、ナズナなどと共にアカザを食べた人も多かったようです。     それから、五十余年後、企業人としての現職を引退していた平成六年の初    夏の頃です。住宅が建てられるらしく土盛(整地)がされた、自宅の真向い    の更地に五cm位のアカザが数本芽を出しておりました。     その頃、筆者は妻と二人暮らしでした。妻が眼を患い、また、齢のせいも    あって「杖」などのことを気にしていた時でした。某日、私はそのアカザ苗    を数本無断で頂戴しねいたずら心にて杖になるか、ならぬかと、我が家の庭    に移植しました。その頃です。たまたま、広辞苑(辞典)を引いていた時、    「アカザ」のことを知りました。古いことながら、前述した母との体験や、    兄の杖造り、捕虜時代の食料源などが次々と思い出され、さらに古典的資料    などにて松尾芭蕉、大愚良寛らの有名人等が「藜茎の杖」を愛用していたな    ど、もろもろの事を発見しました。これらのことが筆者の脳の中で大氾濫し、    以来、筆者は「アカザの虜」となって今日に至っておるのです。     この間友人、知人、戦友、同期生など多くの人に「アカザ」の話をしまし    た。そうしたら、七十才以上の人はアカザの言葉は判っており、そのうち三    人は、はっきりと「アカザ杖」はしなやかで素晴らしいといっておりました。     しかし、その素晴らしさの陰に潜む「危険因子」について、あるいはまた    その素晴らしい杖が何故普及しないのかについては何人も教えてくれません    でした。以上の流れの中に筆者が危険因子の全くない「素晴らしいアカザ茎    の杖」を完成させたことは前述の通りであり、大きな喜びでした。     また、この「素晴らしいアカザ茎の杖」は親しい友人である弁理士により    特許出願しております。     筆者は、すでに八十を数える高齢であり、「この素晴らしいアカザ茎の杖」    を低価にて、より多くの人に普及させたいと思います。また、アカザ茎の杖    の栽培、製造過程には「視覚障害者」専用の白い杖に最適な杖が、相当数派    生いたします。この杖は、然るべき機関を通じて、無償にて多くの視覚障害    者各位に寄贈したいなどの夢を見ながら、本格的な栽培、製造、販売などに    思索を重ねている今日この頃です。     企画に、製造に、また、普及に知恵のある方、どうぞご教導くださるよう    お願い申し上げます。

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