


■ サラワク州の先住民族プナン人、苦難のクロニクル
マレーシア地球の友(SAM)のフィールドコーディネーターのジョク・ジャウ・イボンさんによる、長い力作原稿が届きました。この機会に、プナン人の闘いのクロニクルを一挙掲載、歴史を振りかえってみたいと思います。ちなみに今年10月、SCCの招きで先住民族のリーダーが来日し、東京をはじめ全国各地で講演する予定です。お問い合わせは事務局まで!
●プナン人の闘いのクロニクル●
【1963-1986】
20年以上にもわたり、マレーシア全土、特にサラワク州では、大規模な森林伐採が行われてきた。サラワク州には多様なダヤク(先住民族)が住んでいる。暮らしに必要な資源を、彼らは多かれ少なかれ森の恵みに頼っているが、中には生活全体を森に頼って生きている人々もいる。
そんな民族のひとつに、プナン人がいる。森の恵み(木材以外の、さまざまな林産物)によって生きながらえてきた彼らは、かつては定住しない完全な狩猟採集民だった。過去何百年にもわたり、祖先から引き継いだ伝統や民族内の各グループ間の合意にもとづき森の恵みを持続的に採集するために、彼ら独自の境界線が森の中には引かれてきた 。
しかし、政府により森林伐採権が打ちたてられ、それが国際的企業に売られたとき、プナン人の存在や、彼らが森に頼って生きてきた事実、彼らのもつ慣習的土地権や彼らの行ってきた持続的な森林利用のあり方は、完全に無視された。1986年の終わりまでにマレーシアでは、280万ヘクタール(訳註:東京都の面積の12倍強に相当)の森林が伐採され、その多くはプナン人の土地であった。
【1987―伐採道路での非暴力抗議行動に踏み切る】
プナン人は他のいくつかの先住民族と共に、彼らの土地を破壊し続ける無差別な森林伐採に対して行動を起こした。かなりのプナン人コミュニティーが、マルディ町の役場に土地侵害を通報してみたが、その甲斐はなかった。そこでプナン人のリーダーは非政府組織(NGO)である地球の友マレーシア(SAM)に助言と協力を求めた。プナン人コミュニティに代わってSAMも、さらに地方当局あてに文書を提出したが、それに対しても何の返事もなかった。
そこでプナン人たちは、さらに強力な行動に出た。サラワクのバラム川流域地区とリンバン川流域地区の伐採木材運搬用道路を、25ケ所にわたって封鎖したのだ。その年の暮れに州議会は、あることを決めた。林道封鎖をすることは、裁判無しで懲役2年と罰金6000リンギ(1リンギ=約30円)を課すことの出来る犯罪だと定めたのだ。
現状を世間へ知らせようと、プナン人を含む先住民族の長や年長者たちからなる陳情グループが、国家大臣に会うために首都クアラルンプールに向かった。その訪問のあと、SAMはこの使節グループのためにワークショップを開き、決議文の作成を支援した。その書面は地域の役場に提出され、先の国レベルでの陳情を補足する役割を担った。
【1988】
最初の道路封鎖が取り壊されてから7カ月後、森林伐採は依然としてプナン人の食料、薬、建築材料など生活に必要なものすべてを破壊し続けていた。森林伐採の活動を監視し、先住慣習地に対する(伐採業者による)さらなる侵害を防止するという約束をしておきながら、政府が何ら策を施さなかったため、リンバン川流域地区のロング・ナピール村では、プナン人たちの土地に割り込んでいる伐採道路に、再び新しい封鎖拠点が敷かれた。
マレーシア政府に対して国際社会が、森林伐採を止めさせて先住民族の権利を認めるように圧力をかけたが、この年の終わりにはさらに27人ものプナン人が、道路を封鎖したことで逮捕された。森林伐採が続いている間にも、役人が手間取っていたせいでなかなか裁判が開かれなかった。
一方、政府はプナン人の森へ破壊に対する補償について、ようやく初めて動きを見せた。政府によるプナン人のための開発プロジェクトに、毎年100万リンギの資金をあてたのだ。
プナン人は伝統的に森の狩猟採集民として知られており、かなり優れた狩猟技術を持ち、薬草や食用植物に関する彼らの知識は豊富だ。プナン人は一時的な住居に必要な材料を集め、必要とあらば住居を建てるのも上手だ。このように、プナン人の生活必需品はすべて森の中でまかなえる。だから、プナン人がその暮らしの糧を頼っている森を破壊することは、彼らのマーケットを閉めてしまうようなことなのだ。
プナン人が今まで強いられてきた生活習慣の変化は、実に広範囲にわたる。彼らにとってまったく異質な資本主義や農業や政府のシステムに、何の説明もないまま、プナン人は組み込まれたのだ。 森の食料がほとんどなくなり、狭くなった土地でなじみのない作物を育てて大人数の家族を養わねばならなくなったことで、プナン人たちはさらに差し迫った状況に追い込まれた。慣れない(定着農業などの)技術についての訓練が、ほとんど、あるいはまったく受けられない中では、会社や政府からの補償金や、後に提供された建築資材は、使い物にならなかったのだ。
【1989-1990】
絶え間ない森林伐採会社の圧力と政府の理解不足のため、プナン人は17の道路封鎖を行い、1989年の間に222人が逮捕された。深まる対立の後、サラワク・プナン協会(プナン人の団体)は、2年間待ってようやく政府より正式に登録された。
1990年、サラワク州政府は、サラワク・プナン人問題委員会を創設した。同委は、プナン人のニーズに対して政府の援助を促進したり、プナン人から出された問題に対処したり、プナン人を対象とした開発プロジェクトを進める委員会とされた。
【1990-1995】
道路封鎖の拠点設置は、数年の間、中断された。というのもプナン人たちが、開発プロジェクトと、約束された政府の援助を待ち受けていたからである。しかし、プナン人コミュニティーは定住生活に慣れるのに困難を強いられ続け、そして生活状態は悪化して行った。
【1996―ロング・サヤン村の住民が、伐採道路に新しい封鎖拠点をつくる】
ロング・サヤン村の住民は、伐採道路に新しい封鎖拠点をつくった。木材業者のリンブナンヒジャウ社に対抗しての措置だった。伐採が原因で、特に食料を含む森林資源が減少してゆくことを憂え、5年間にもわたり何もしてくれなかった政府にしびれを切らしたためだ。(住民の築いた)封鎖拠点に道を阻まれた木材業者の従業員は、警察に苦情を持ち込んだ。プナン人が持ち込んだ苦情への無対応とは対照的に、警察はこの苦情にただちに対応した。プナン人の村長、アジャン・キュー氏は、「私たちからの連絡は常に無視されているが、警察は木材業者のためには多くの羽根を生やして飛んでくる」と語った。
警察が封鎖拠点の設置場所へやってきて、撤去を要求した。そして、ロング・サヤン村の代表者たちに、関連業者と交渉し、マルディ町にいるバラム地区行政官との会合を持つよう命じた。そこでロング・サヤン村のプナン人6名からなる代表団が、指定された会合に出席するためにマルディ町に赴いたところ、船着き場で待ちかまえていた警察に逮捕されてしまった。SAMの代表者たちは2日後にこの状況を知り、プナン人住民が逮捕された理由を地方当局に問い合わせた。プナン人たちはすぐに釈放されたが、同じ年に裁判所に出頭しなければならなかった。この裁判の経過で、プナン人に課せられたすべての罪状は、検察当局により取り下げられた。しかし、逮捕のしかたに不服を持ったプナン人は、逮捕に関わった警察官とマレーシア政府を相手どって、不当逮捕の容疑で訴訟を起こした。この訴訟に対する裁判は、いまだに公判延期となっている。
【1997―ロング・サヤン村が封鎖拠点を再設置する】
ロング・サヤン村の住民たちは、先住慣習地の保護に関する政府との合意が守られるよう要求して、再び伐採道路の封鎖拠点を設置した。結果として、地域の主要な木材業者(リンブナンヒジャウ社)との協議のうえ、伐採を行わない流域保護区域を設け、それ以外の区域からの伐採量については、木材1トンあたり0.80リンギの補償金がコミュニティーに対して支払われるという合意書に署名することになった。
【1998】
ロング・サヤン村と木材業者が合意書に署名してから8ヵ月後に、再び伐採道路封鎖の拠点が住民によって設置された。合意にあった流域保護区域内で伐採が開始されたことや、補償金の計算根拠となる木材伐採量を業者が大幅に過小評価したことに、村民が抗議したからだ。プナン人たちは封鎖拠点を撤去する前に、既に法的に合意した条件を業者が遵守することを要求した。警察当局は、コミュニティーに支払われるべき妥当な代償が支払われるべきことと、保護区域の伐採を止めさせることを約束した。
【2000―トゥトー川地区の村々にも、伐採道路の封鎖拠点が】
ロング・サヤン村の例にならって、20のプナン人コミュニティーが、トゥトー川流域地区のロング・ク・ヴォッ村、ロング・ネン村、およびプルタン地区のロング・ルンイム村の(村人)居住地側に3つの新しい封鎖拠点を設置し、それぞれ多いときには200人近くの住民がそこに立てこもった。このように活発化した伐採道路の封鎖拠点設置は、プナン人が現状に満足しておらず、要求が認識され、何らかの対応が得られるまで活動を続ける決意があることを示していた。
当初政府はマスコミを通じて、新しいバリケードの存在を否定していた。後に産業開発大臣は抗議が起こっていることを認めたが、住民が "住民をあおって自らの目的を達成しようとする" 環境NGO のSAM にそそのかされていると主張した。サワラク・プナン協会のリーダーであるアジャン・キュー氏は、この主張を否定してプナンの窮状を訴え、政府に奥地の伐採現場を訪れ、プナン人らの土地の破壊状況を自ら検証するよう要請した。しかし、政府の要員がプナン人の地を訪れることはなかった。
9月には、ベラガ地域のリナウ川上流の半定住プナン人のグループが、彼らの居住区近辺で行われているシン・ヤン社による伐採に抗議して伐採道路に封鎖拠点を設置したところ、逆に(村人の)都市部への往来を遮断されてしまった。プナン人の所有地に通じる木材運搬道路が閉鎖され、業者により地域に出入りする通行者の身元がチェックされたのだ。
平均的に見ると、プナン人たちが設置する封鎖拠点は、1週間から2週間という比較的短期間で撤去されている。
これには2つの理由がある。当初のバリケード設置現場では、現場に到着した警察は、木材業者による補償条件や、伐採箇所の限定などについて協議を行うことを薦めていた。そしてプナン人たちは、非常に人を信頼しやすく、争いを好まない性質をもつため、警察の言葉どおりに封鎖拠点を撤去し、政府が行動を起こすのを待った。しかし、彼らの資源が急速に減少するかたわらで、政府が依然として何もアクションを起さなかったので、そのことが後の伐採道路封鎖拠点の設置につながった。時がたつにつれプナン人は政府と木材業者の空約束に疲れ、申し入れの内容にかかわらず封鎖拠点を維持するようになった。
封鎖拠点の設置が長期間になるとともに、プナン人は今、新しい苦難に直面している。封鎖拠点は、既に伐採が進行した森林の木材運搬道路沿いで行われているため、そうした場所に食料は少ない。封鎖拠点で抗議行動に参加する人々の多くが食事をすることが困難になり、3週間もたてばそれは不可能になる。抗議行動参加者の家族は、しかたなく封鎖拠点を後にし、農場や森林に戻り食料を確保しなければならない。
【サラワク州のプナン人の闘い】
2000年7月下旬、マレーシア人権委員会(SUHAKAM)は、サラワク州のクチン市で現地のNGOと会合を始めた。その委員長である前マレーシア副総理大臣・ムサ・ヒタム氏は、バラム川奥地で最近、道路封鎖を行った半定住プナン人について、彼らがもしも木材会社によって人権を侵されていると感じているのならば、SUHAKAMに正式に苦情の申し立てができると述べた。
同年9月8日に、トゥトー川流域地区などの20の村からプナン人の村長が集まり、彼らの土地の破壊をやめさせようと、要望書をまとめた。その要望内容は以下のとおり。
・ 先住民の土地の所有権を承認し、保護すること
・ いくつかの集団から提案されているように、法律に基づいたコミュニティー共有林の分配を適切に行うこと。
・ プナン人にとって生活には不可欠な林産物(木材以外の林産物)の価値を認めること。
・ 約束された1000万リンギに及ぶ開発計画が、なぜいまだに着手されていないのかを説明すること。
・ 多くのプナン人が申請している、選挙権を得るのに必要なICカードの発行を進めること。
・ 州の法律を無視して伐採地域で住民を苦しめている森林警察官を解任すること。
・ プナン民族の指導者の存在を法的に認めること。
ちなみにICカードは、マレーシア国民であることを法的に認められる上で、必要不可欠のものである。それがなければ、投票もできないし、仕事もできない。銀行に預金することも、銀行からお金を借りることもできない。そしてパスポートの取得もできないのである。
ICカードを受け取るには、出生証明書が必要である。定住していないプナン人は、医療施設とは縁のない森の中で生まれるので、出生を示すような書類は持っていない。明らかに国民の一員であるプナン人にICカードを発行しないというのは、彼らの権利と森の外で生活する可能性を、政府が奪っているのも同然である。
●現在/2001年●
【ロング・ベロク村とロング・サヤン村の村人による伐採道路の封鎖活動】
バラム川奥地のロング・サヤン村とロング・ベロク村のプナン人は、それまで伐採道路に設置していた封鎖拠点を取り除くことに最終的に同意した。これは、1月21日にマルディ町で同集落の代表者と企業の代表者がバラム地区行政官を交えて行った会合内容を受けたものだ。地区行政官は、(住民用の)新しいロングハウス(先住民のコミュニティーが共に暮らす伝統的長屋のこと)を建築するための建築材料を、政府が分け与えると伝えた。
しかしプナン人は合意はしたものの、今まで政府が数多くの合意事項を無視してきているので、この合意が実施されると信じる理由はほとんどない。ロング・サヤン村での封鎖は1ヶ月近くも続いており、警察が3度訪れた。そのたびに、伐採に抗議する村人たちは、封鎖拠点を取り除くことを拒否してきた。しかし最終的には、抗議する側が食糧難に陥ったため、封鎖を取り除くこととなった。
●プナン人の嘆願●
「伐採が始まってから、私たちプナン人はずっと被害を受け続けてきた。私たちは自分たちの苦難と要望を政府に訴え続けている。しかし、私たちの要望で受け入れられたことは、ほんとうにわずかである。私たちプナン人には、政府に意志を伝える確かな手段が何もないと感じている。この状態が続くのならば、私たちはもっと苦しむことになるだろう。今は国際社会に支援を求め、いくばくかの援助を得られることを希望している。私たちは闘いを続けながらも、将来について話し合い、思い悩んでいる。私たちは、じっとしてはいられない。私たちが黙っている限り、どんどん森林は失われているのだ」(サラワク・プナン協会の指導者、アジャン・キュー氏の言葉)
ロング・サヤン村の村長でもあるアジャン・キュー氏のこの最後の発言は、今プナン人が直面している困難な状況を最も端的に表現している。彼らは飢えという問題をめぐり、両刃の剣的な状況と闘い続けている。伐採道路の封鎖行動をすれば、生活の維持は早々に困難になり、畑の手入れや食料の採集が出来なくなる。封鎖行動をしなければ、森林、つまり彼らの市場は枯渇し続け、食料とその他の資源を永久的に奪われることになりかねないのだ。
この闘いをもっと複雑にしているのが、政府が彼らにすすめている定住生活をプナン人がするために必要な訓練と技術が、彼らには欠如していることである。農業やタピオカのような食物の加工は、移動生活を常としたプナン人には自然にできるものではない。政府はほとんど援助をしてこなかった。政府がしたことといえば、(建物の作り方についての説明もせずに)建築資材だけを与え、小学校3校(30ものコミュニティーの子供たちを教育するには少なすぎるのだが)を建て、プナン人の住んでいるところからは遠くて行くこともままならない病院を1つ建てただけである。
●現状について●
プナン人の現状は、政府の援助を待てるような状況ではない。生活を維持するために、彼らは独自の行動を起こしている。ロング・サヤン村では、伐採された跡地に村人が植林を始めている。彼らが主な食料資源として採集していた野生のサゴヤシに替えて、タピオカを植えている。そしてたんぱく質を補うために養殖池をつくっている。こうした例が、多くの集落に影響を与えている。
わずかでも原生林を守ることができた数少ない集落のひとつであるロング・ルンニム村では、SAMの協力を得て、村人が森から取って利用している植物(非木材の林産物)の種類と生えている場所の詳細をまとめている。この調査は、住民の生活必需品を得るという観点から森林の価値をはっきりと定量的に示すもので、過去・現在と続いている森林伐採の被害への適切な補償を要求する根拠となるものだ。
プナン人と伐採企業との間の歴史は混乱ばかりであった。しかしプナン人は、ただ伐採に反対しているわけではない。彼らには、伐採に関して企業側と協力する用意もある。しかしながら、いったん森林がなくなったら、企業側がその伐採跡地を(先住民に)返すかわりに、油やしのプランテーション開発を進めるのではないかと彼らは心配している(このようなことは、他の地域ではよく行われている)。
半定住プナン人は、もともとの彼らの土地に対する所有権が認められ、法律で保証され、守られ、また伐採の収益が公正に分配され、そして森林が再生するまで生活していくための訓練を受けられれば、ようやく納得できるだろう。この要求が認められ、実施されるまで、プナン人は生きるため、彼らの声を聞いてもらうために闘いつづけるだろう。
この記事を訳してくれた3人の翻訳ボランティアのコメントです:★「翻訳ボランティアをしていると、英語に触れる機会が多くなるだけでなく、マレーシアについても知ることができるので、とてもよい経験だと思います。サラワクへの興味もわいてきました」(訳者:藤原トモエさん)★「新内閣で日本が変わ るかもしれないという予感にわくわくはらはらしています」(訳者:伊藤泰司さん)★「日頃ニュース程度でしか、海外の情報を入手していない私にとっては、この翻訳で、現地の状況の一部ですが詳しく知ることができてありがたく思っています。日常とはかけ離れているとはいえ、森林の伐採を進めさせているのは、日本国民一人一人であるとも思うので、資源節約とはどうすべきかについて考えさせられるものではないでしょうか。」(訳者:レインさん)
■ 開発か抑圧か?〜バクンダム計画で強制移住にあった住民たちのいま
ラジャン川上流のバルイ川流域の水をせきとめて、シンガポールとほぼ同面積の貯水湖をつくり、大規模な水力発電所を作ろうというバクンダム計画が、紆余曲折をへながらも、進められています。ダム建設はまだ途上にありますが、水没予定地域に暮らす先住民たちの強制移動だけは、既に完了しています。この記事は、強制移住させられた先住民たちの窮状を、ある側面から伝えているものです―サラワクのNGO、Rengah Sarawakのホームページに掲載された、サイエッド・フセイン・アリ(Dr)マレーシア人民党(Malaysian Peoples'Party)党首の記事より―
【プタリン・ジャヤ/2001年5月14日発】 2001年5月11日の報道によると、サラワク州社会・都市開発大臣のジェームス・マシン氏は、農村から住宅ローンの返済を求める際に、あまりに厳格になりすぎないようにしたいと述べたという。(元々は25年間にわたり月額300リンギを支払うことで同意されていたが、)「低所得の人々は月額100リンギから150リンギの間での支払いが認められる」と、同大臣は述べたそうだ。バクンダム建設予定地に暮らしていて、強制移住の対象となった住民たちの状況に対するサラワク州政府の目にみえる「思いやり」に、私たちは感動している。だが、この思いやりは心からのものではなく、みせかけである。
なぜかというとまず第一に、大臣が引きあいに出した25年間の月額300リンギの返済は、合計すると91,000リンギになる。要するに、州政府はバクンダム予定地に住んでいた村人たちの再定住地(強制移住先)の粗悪な住宅に51,000リンギという法外な値をつけているのだが、それだけではなくその返済に利子を課そうとしているのである。なんとも都合のいい話である。
二番目に州政府は、バクンダム建設予定地であるバルイ川流域に暮らしていた村人たちがかつて住んでいた住宅の補償額を、いまだ支払っていない。その代わりにその補償金額を、新築の住宅の頭金として確保してしまったのではないか? ほとんどの場合、旧住宅の補償額は30,000リンギといったところではないだろうか。
言い換えれば、低所得の村人たちは、再定住地(強制移住先)の粗悪な住宅に、 60%もの頭金の支払いをさせられたことになる。高所得者向け高級住宅の場合でさえ、今や頭金の支払い割合は20%ほどまで下がっており、これほど厳しい条件は課されていない。
三番目にその場合、そもそもなぜ村人たちは25年間月額300リンギを支払うことを要求されたのだろう?
四番目に、州政府がそれほど「気前が」よくて、再定住者に利子を課すつもりなのであれば、一方で州政府は、旧住宅の補償金の支払いが滞った期間の利子を、代わりに支払うべきである。ほとんどの場合、補償は再定住(強制移住)させられる数ヶ月後まで支払われなかった。さらにこの補償金は、分割で支払われた。
州政府は、旧住宅に対する補償金を留保している限りは、その利子分を住民に支払うべきである。
このような観点から、我々はバクンダム建設予定地からの再定住者(被強制移住者)を正当に扱うことを、サラワク州政府に要求する。さらに、(a)再定住地の粗悪な住宅価格を帳消しにすること、(b)留保されている旧住宅に対する補償金を、利子も加算して支払うこと、を要求する。
バクンダム予定地からの再定住者(被強制移住者)は、州政府に何度もだまされ、うそをつかれ、ごり押しされてきた。当初は、所帯あたり3haの新しい土地を約束されてきた。しかし、その土地はエクラン社、サムリン社、サラワク・エンタープライズ社(元ダンロップ・エステート社)などに渡され、再定住者(被強制移住者)への配分は1.2haに削減されてしまった。再定住者(被強制移住者)たちは、バルイ川流域地域でわかちあっていた70,000haの土地から、4,000haの狭い土地に押し込められた。結果としていくつかのコミュニティーは、栽培を続けるには役に立たない土地を割り当てられた。その土地は、白砂の上に僅かの表土しかない砂地であった。
同大臣が、生産的でない土地で生産を上げるよう住民に要求するのは、非常におかしいことだ。同大臣は、土ではなく、砂を与えられたコミュニティーのために、代わりの土地が得られるよう奔走すべきである。
さらにいえば、再定住者(被強制移住者)は配分された土地に割り増し金でも課されているのではないか?この1.2haのみじめな土地でさえ、彼らには補償としてタダで与えられたといえば誤りになる。決してそうではない。同大臣は、認めるだろうか……再定住者に割り増し金が課されただけでなく、その割り増し高が、エクラン社が1万ha得るのにたいして課したのよりも高かったことを。その1万ヘクタールは、元々は村人たちの再定住(強制移住)予定地に含まれていたのだが。
真実は、さらにおそろしい様相を帯びている。
再定住(強制移住)地域においては、1.2haの土地の配分は、住宅を受取ってその家賃を支払わなければ得られない、いわばひも付き契約なのである。住宅を購入しなければ、土地は与えられないのである。多くの家族はそのような支払いを怖れて、住宅を受取らないことを選択している。こうした家族は、バルイ川流域にあった旧住宅よりもずっと狭く、粗悪な住宅に押し込められており、今や自らの土地を持たず、1.2haの土地を親戚とシェアしなければならない。
(強制移住)以前は、現金は不足していたとしても貧しくはなかった人々に対する、これが計画された貧困化――意図的な貧困化の経緯である。想像してみるに、マレーシア半島部のケダ州で1haの土地を持つ家族は、貧困層か低所得層というカテゴリーに分類されるであろう。ケダ州の貧困率が国内で最も高く、また世帯平均所得も最も低い州である一つの理由に、土地の狭さがあげられる。一方、サラワク州では土地不足がないにもかかわらず、バクンダム予定地からの再定住(強制移住)計画では、一世帯当たり1.2haの土地しか配分していないのだ。
最も恐ろしいことに、この「モデル」はサラワク各地で拡張されている。例えば、ボルネオ・パルプ・ペ―パー・プランテーションによって退去させられたタタウ川流域地区の人々は、住宅一戸につき同じく1.2haの土地に再定住(強制移住)させられているのだ。
これは開発なのか、それとも抑圧なのだろうか?
この記事を訳した翻訳ボランティアのコメント:「この記事は、政府の政策によって貧困が持続する様相を描いており、その「モデル」が拡大する可能性を指摘している」(訳者:マタ・クチンさん)