サラワクは今



■ 先住民族がBPPの木材プランテーションに抗議/道路封鎖・訴訟!!
(地元情報より/2000年11月17日)

【ビントゥル】サラワク州、ビントゥル省タタウ川上流のイバン人ロングハウスの住民は、11月15日から、ボルネオ・パルプ&ペーパー社(BPP)のパルプ材工場・木材プランテーション計画に対する抗議を行っている。BPPのパルプ材工場のプロジェクトで影響を受ける11のロングハウスの男女100人以上が、自分たちの先住慣習地に建設された道路でミリンという伝統儀礼を行い、道路を封鎖した。

 影響を受けるロングハウスは、ルマ・エンティカ、ルマ・ムング、ルマ・ゲルンシン、ルマ・スラン、ルマ・リンカイ、ルマ・メルダ、ルマ・ポリス、ルマ・マリン、ルマ・アルジェイ、ルマ・アリ、そしてルマ・ジェティである。ロングハウス住民が封鎖を行っているのは、BPPが彼等の慣習地に不法に進入して開拓を続け、彼等の所有物、畑、休閑地、共有林を大量に破壊することを恐れているからである。

 1997年2月、サラワク州政府は、パルプ材工場を建設するためにコミュニティーの先住慣習地、約6800ヘクタールに対する住民の権利を抹消し、それを収用した。BPPの工場の建設現場は、ビントゥル市の南45キロ、タタウ町の南東23キロの地点にあり、影響を受けるロングハウスの慣習地内にある。
 1998年11月、影響を受けるロングハウスの代表者は、BPPによる慣習地取得に対する差止め命令、州政府による先住慣習権抹消の撤回を求める集団訴訟を起こした。[SCC注:その第一回公判が2000年10月31日からクチン高等裁判所で行われている。11月27日現在も続いており、長期化している。]

 ロングハウス住民の再三の抗議や嘆願にもかかわらず、BPPは断固としてプロジェクトを進めようとしており、住民はロングハウスから退去させられることになる。ロングハウスの人々は、訴訟を起こしたのだから自分たちの先住慣習権はまだ存続し、認められた有効なものであり、従って、慣習地は自分たちのものであると考えている。
 今年の初め、BPPはロングハウスの住民に対して、BPPプロジェクト地に入らないよう警告し、さもなければ訴訟を起こすと伝えた。BPPは、ロングハウスから住民を無理やり立ち退かせようとして嫌がらせや脅迫を行っている。また、住民は、相談も合意もなしに自分たちの先住慣習権を抹消した政府にも失望している。これまで、BPPは住民の訴えや抗議を無視し、事前の通知も合意なしに操業を続けてきた。

 ゲレンポン・ダヤク・ムノア・タタウ(タタウ地区ダヤク住民組織)は訴える:
1. BPPは、裁判所が公判を行い、係争中の慣習的な土地権に関する判決を下すまで、私たちの慣習地での操業を即刻停止すること。
2. 州政府は、我々の土地に対する我々の先住慣習権を復権すること。
3. BPPは、タタウ川奥地の我々の慣習地の外でプロジェクトを行うこと。BPPは、州有地でのみプロジェクトを行うことを要求する。
4. 政府やBPPは、私たちを慣習地外に立ち退かせないこと。

■ ウル・ニア裁判開始!
(Borneo Post 2000年11月14日および11月29日の記事、および地元からの情報を要約。11月29日までの情報に基づく)

 2000年11月27日、ミリ高等裁判所で、昨年9月に起こったウル・ニア事件の公判が開始した。油やしプランテーション会社のSarawak Oil Palm社(SOP)が住民の先住慣習地で開墾作業を行っているのに抗議していたウル・ニア地区、ブサン村とバリ村のイバン人19人(うち、一人は未成年者)が、プランテーション労働者4名を殺害したとして、刑法149条および302条の規定により殺人罪に問われているものである。有罪になれば、マレーシアの法律では、絞首刑による死刑が義務付けられている。

 同事件は、1999年9月1日、午後4時ごろ、ウル・ニアにあるラマウス・プランテーションの敷地の道路で起こった。会社の操業に抗議するロングハウス住民を脅迫するために、刀や棍棒などを持ってやってきたプランテーション従業員(チンピラ)が住民と乱闘になり、従業員4名が死亡し、3名が負傷した。ブサン村とバリ村の19名が殺人罪で逮捕され、その後、一年以上、ミリのランビル刑務所で監禁されている。
 ブサン村とバリ村の住民は1994年から1998年にかけて、計5回、地図やスケッチなどを添えた手紙を土地調査局に送り、自分たちの土地への先住慣習権を認めるように要望したが、これらについて何の決定もなされなかった。プランテーション会社が慣習地での開墾作業を開始した後も、住民は警察や会社に再三、苦情を訴えたにもかかわらず、とりあってもらえなかった。そのような状況のもとで起こった事件である。

 11月14日、ミリ高裁で検察側は、有罪を認めるなら、謀殺罪(殺意ある殺人罪、murder)から、殺意のない殺人罪(manslaughter)に減刑するという有罪答弁取引の提案を被告側が断ったことを裁判所に告げた。この提案を受け入れていれば、刑法409A条により最大20年の禁固刑に減刑されることになっていたが、被告たちは、正当防衛による無罪を主張している。

 11月27日の公判で最初に証言台に立ったのは、ミリ省土地調査局の元局長(92〜98年勤務)、アーサー・ベートマン。住民たちが慣習権を主張する第75区画(Lot 75)に対する暫定的借地権をSOP社にいつ付与したのか、との被告側弁護団からの問いかけに、ベートマンは最初、はっきり覚えていないと答えた。
 翌29日に、ベートマンは、暫定的借地権がまだ正式にSOP社に付与されておらず、同社は、第75区画への権利を持っていないことを認めた。証言によると、SOP社は、土地調査局のクチン本部に対し、第75区画への暫定的借地権の請求をし、クチン本部から認可の通知を受けていた。97年9月24日に、SOP社は、土地調査局から提示された条件を受け入れる旨の手紙を同局に送り、5回に分けて支払うことになっている借地料の一回目分を払い込んでいた。しかし、土地法28(1)条の規定では、まだ測量がおこなわれていない土地に対しては、様式C(Form C)による暫定的借地権が付与されることになっているが、土地調査局がこれをSOP社に対して、まだ発行していなかったことをベートマンが認めた。

 本公判は、12月16日まで続く予定で、計71人の参考人が証言することになっている。

■ プナン人が国家人権委員会に苦情の申し立て
 11月4日 Harakahdaily.com (野党オンラインニュース)

 クアラルンプール、11月4日.サラワクのプナン人代表団は、国家人権委員会(SUHAKAM)と2時間にわたり非公開の話し合いを行なった。
 ウル・バラム(バラム河上流地域)のプナン人5名及びサラワクNGOの代表者とともに、エリザベス・ウォン(Elizabeth Wong)国民人権協会(HAKAM)事務総長が同行した。国家人権委員会の委員は、議長のハルン・ハシム(Harun Hashim)の他、 モハマド・ヒルマン・リトム・アブドゥラ博士(Dr. Mohd.Hirman Ritom Abdullah)、メルン・シラジ(Mehrun Siraj)、ダトッ・ハムダン・アドナン教授(Prof. Dato' Hamdan Adnan)、サレ・モハマド・ノル博士(Dr Salleh Mohd Nor)及びモハデヴ・シャンカル(Mahadev Shankar)である。
 サラワク先住民として最初に苦情申し立てを行なったプナン人は、慣習的土地権の侵害や経済的・社会的・文化的権利の侵害、警察権力の乱用や警察隊(PFF)の横暴について言及した。
 ハルン・ハシム議長は、言及された問題についての調査とサラワク州政府からの聞き取りを実施すると答えた。ウル・バラム出身の一人は、国家人権委員会との話し合いに満足していると語った。「私たちは、これまで15年間、政府役人や諸機関に対して無数の手紙や要請文を送った。しかし、状況はよくなっていない」
 そして彼は、「国家人権委員会が私たちを助けてくれるかどうか見守りたい」とつけ加えた。
 彼はまた、国家人権委員会にウル・バラムに来てもらい実際に状況を見てほしいとも語った。
 エリザベス・ウォンによれば、国家人権委員会の委員は、プナン人が直面している問題に対して共感と理解を示していたという。
 そして彼女は次のように述べた。「彼らが憂慮を示してくれたことに感動した。とりわけシャンカル委員は、プナン人がその正義への闘いにおいて、決して孤立しているものではないと語った。」
 国家人権委員会に事前に送られていた進言のいくつかは、次の通りであった。プナン人やその他の先住民に対する慣習的土地権の承認、公的な査察が実施されるまで全ての伐採活動の停止、先住民に罪をきせ監禁を許してきた1960年国内治安法(Internal Security Act 1960)の撤廃、いくつかの死やレイプ、拷問などを含むプナン人に対する犯罪的行為に関する調査、プナン人や他の先住民コミュニティの人権を守るための国家人権委員会サラワク事務所の開設などである。
この話し合いは、アブドゥーラ・バダウィ(Abdullah Badawi)マレーシア副首相とノリアン・マイ(Norian Mai)警視総監が、先住民との話し合いを拒否した翌日に行われた。
 クアラルンプールに到着後、一行はSuqiuや弁護士団を含むNGOや政治家などと面会した。彼らはまたAlternative Frontの議会関係者を特別訪問したり、議会内で野党指導者やPAS総裁のファジル・ノア(Fadzil Nor)の個人的な歓迎を受けた。
 夕方、一行はKeADILan総裁であるワン・アジザ・ワン・イスマイル博士(Dr. Wan Azizah Wan Ismail)の家に集まった200人の前で話をした。
 一行は明日、SuaramとSOS-スランゴール(Selangor)が主催する「利潤の前に人々のことを」("People Before Profits")会議において開会スピーチを行なう。土曜夜には、特別歓迎及び資金集めの夕食会がグランド・オリンピックホテルで開催される。
 プナン人は、人口わずか1万人のサラワクのマイノリティー先住民集団である。1980年代の半ば、彼らは国際的なメディアから脚光を浴び、環境保護団体は彼らの林道封鎖による非暴力の抗議手法を称賛した。プナン人は、企業が彼らの土地で伐採活動を強行してきたこの15年間、文化的アイデンティティや慣習的土地権を守るために闘ってきた。(以下、略)

■ プナン人が警察を告訴
 (地元情報より)

【ミリ発】プナン人のグループ(男性5人、女性1人)が警察とマレーシア政府に対して訴訟を起こし、10月13日にミリ高等裁判所において公判が行われる予定である。(以下は、ことの経緯)

 1996年8月6日、サワラク北部のバラム地区、トゥートー川の支流アポ川にあるロング・サヤンのプナン人コミュニティーは、リンブナンヒジャウ社、インターヒル社、ウッドマン社が使用している木材輸送用道路を封鎖した。プナン人グループは、この道路は彼らの慣習地に建設されていると主張している。さらに、この道路の建設によって彼らの居住地周辺の慣習地や農作物、森林がダメージを受け、河川が汚染されたという。彼らは数回、開発会社と警察を含む地方行政に苦情を申し立てたが、すべて無視された。抗議が無視され、万策も尽きたと感じた彼らは、道路を封鎖するに至った。

 1996年8月7日には、リンブナンヒジャウ社のマネージャーが、プナン人グループによる林道封鎖をマルディ警察署に通報した。プナン人たちによると、1996年8月8日の午前10時ごろに、警察が封鎖地点にやってきたという。警察は、プナン人たちに、マルディまで同行して地区行政官(バラム地区行政のトップ)に面会するよう言い渡した。
 プナン人は、交渉は問題が発生している彼らの居住区で行ないたいと警察に申し立てたが、拒否され、行政官に面会できるという警察のことばにしぶしぶ従った。しかし、マルディに到着すると、彼らは署に連行され拘束された。プナン人たちは抗議したが、警察は拘束せよとの命令に従っただけだと答えた。

 1996年8月10日に、リンブナンヒジャウ社の代表者がマルディ警察署に出向き、警察の立会いのもと留置所から出されたプナン人たちと面会した。会社側は交渉において、土地の問題に対して何らかの解決策を提案したが、プナン人たちはそれを拒否した。会社側がその場を立ち去ると、プナン人たちは再度収監された。同じ日の正午ごろ、プナン人たちは治安判事のもとに連行され、警察からの申し出により、各自に保証金をたて3ヶ月間トラブルをおこさないという条件で釈放された。
  釈放と同時に、プナン人たちは、ミリ高等裁判所に保証金払いの命令に対して控訴した。彼らは、道路封鎖は自分たちの土地で実施したもので、何も悪いことはしていないと思っていた。彼らは、土地や作物を痛めつけ河川を汚染した会社による事実上の犠牲者であり、警察が取り締まるべきは彼らではなく、慣習地に林道を通した会社であると主張した。

 1997年7月11日に、ミリの高等裁判所は、彼らの控訴を聞き入れ、治安判事の命令を却下した。プナン人たちは、さらに警察とマレーシア政府に対して、不当な逮捕と監禁、および悪意のある訴追を不服とする訴訟を起こし、一般的、加重的および/もしくは懲戒的損害賠償を要求している。

■ 活動家/探検家のブルーノ・マンサーが、ボルネオで行方不明
 (環境ニュースサービス/2000年11月21日)

【バーゼル、スイス発】スイス人活動家のブルーノ・マンサーは今年5月以来マレーシアにおいて行方がわからなくなっている。現在、彼の家族は行方不明のマンサーに関してマレーシア政府と話し合いができるよう、スイス外務省の協力を求めている。

 46歳の活動家は、ボルネオ島サラワクの先住民族プナンと6年間暮らした。彼はプナンの慣習林地における森林伐採への抗議運動を鼓舞してきた。マンサーの活動を支援するために設立された基金の声明では次のように報じられている。「月曜日、彼の家族やブルーノ・マンサー基金は外務省に申し入れを行い、同省がマレーシア政府に対して、ブルーノ・マンサーが行方不明であることを宣言し、マレーシア内での捜索依頼を正式に表明するよう求めた」。
 基金のスポークスマンによれば、外務省は数日内に行動を起こすと約束したという。スイス外務省は、同省が行方不明のマンサーの捜索願いを受けていると報じたスイスの新聞記事の内容を認めた。

 基金のウェブサイトには、行方不明となったマンサーの捜索への協力を求めるアピールが掲載されている:「2000年5月以来、ブルーノ・マンサーは行方不明である。この人権活動家は、伐採会社や軍隊、警察に包囲されているサラワクの森林遊動民、プナンの友人を訪ねたいと願っていた。彼は未だに到着していないらしい。これまでの捜索では見つけ出されていない。現在、スイス外交団も捜索に協力している。マンサーは逮捕されているのかもしれないし、事故に遭ったのかもしれない。あるいは暗殺されたのかもしれない」(以下省略)。

■ バクンダム・プロジェクト再開/政府は選択肢を検討中
 (ベルナマ通信発/2000年10月24日)

【クアラルンプール発】エネルギー・通信・マルチメディア大臣のレオ・モギーは、電力プロジェクトの再開が決まったサラワクのバクン水力発電ダムに関して、政府が依然、複数の選択肢を検討していると語った。モギー大臣は記者会見の席上で、これまでいくつかの可能性が提案されたが、まだ正式な決定はなされていないと語った。

 選択肢とは、プロジェクトの発電容量を決定するものであり、元々の計画(海中送電ケーブルで半島マレーシアに電力供給するというもの)でいくのか、プロジェクトからの電力をサバ州とサラワク州の利用に限定するのかという方向性を決めるものである。モギー大臣によれば政府の決定は、使用容量、総費用、投資に対する収益、そして国家への利益を考慮していると述べた。首相が昨日語ったところによれば、政府はバクン水力発電ダム・プロジェクトを継続するが、フルスケールで再開するかどうかは確定していないということである。

  バクンダム・プロジェクトは、昨年8月にバクン水力発電社からFinance Ministry Incに引き継がれた。それ以来、プロジェクトの発電容量は元々の容量2,400メガワットから、500メガワットに縮小されることになった。フルスケールの計画案では、サラワクと半島マレーシアの間で海中ケーブルを敷設して最終消費者に送電するために、同プロジェクトは135億リンギの総費用を見積もられていた。

 最近、ジョージ・チャン州副首席大臣は、サラワク州が連邦政府にフルスケールでのプロジェクト継続を申し入れたことを明らかにした。レオ・モギー大臣によると、プロジェクトにおける最善の選択肢に関する政府の検討を補助するシミュレーション研究が行われているという。
 いつ決定がなされるかについて、モギー大臣は冗談交じりに次のように述べた。
「私に予測はできない。まだ時間がかかるよ」
「我々が以前それ(バクンプロジェクト)を進めていたとき、たくさんの人たちから批判を浴びてきた。だから、我々は非常に慎重でなければならない」。

■ タイブ主席大臣/先住民慣習地を開発する絶好のタイミングだ
 (サラワクトリビューン紙/2000年10月18日、ジョセフ・ウォン記者)

【クチン発】 先住慣習地(NCR)は、土地開発費用が高騰する前に、今すぐ開発すべきであると、タイブ州主席大臣は述べた。「国民は過去から学ばなければならない、さもないと機会を逃したことを後悔することになる」と述べ、先住慣習地を開発したカピットの住民は今や勤労の成果を受け取ることができるようになったと指摘した。「カピット地方の住民はうまくやっている」と昨日、サラワク経済開発公社(SEDC)とホン・リアン開発(株)が油やしプランテーション開発のために設立する合弁企業の調印式で語った。

 調印は、サラワク経済開発公社(SEDC)のタリブ・ズルピリップ会長とホン・リアン開発(株)のロウ・ナム・フゥイ会長が代表して執り行われた。タイブ主席大臣は、プーナン人(Punan)の所有する油やしのミニ・エステートの収穫期が 近づいていることも指摘した。

 主席大臣は、油やし農園計画が農村の土地を開拓し、開発を促進させ、住民の生活水準を改善するであろうと述べた。また、まだしなければならないことが多いことも認めた。
 「政府は、農業用地に指定された300万haを、アグリビジネスが開発するよう奨励しようとしている。しかし、この土地を開発するペースは2つの要因に依存している。つまり、道路などのインフラ整備と、先住民の参加への熱意である。」

 主席大臣は、小農(small holding)はグローバリゼーションに直面する中で存続が困難となり、エステートあるいはミニ・エステートのプランテーションが農地開発には最善の方法であると意見を述べた。しかしながら住民はこのようなエステートを設立する利益を依然として理解できていないと嘆いた。また、「ほんの少し想像力を働かせて忍耐すれば、特に焼畑農業を行う農民はやがて新しい方法を取り入れるだろう」と述べた。住民が政府の政策に反対することを、何らかの魂胆があって喜ぶような連中には耳を傾けないよう、主席大臣は力説した。
 主席大臣はまた、海岸部を結ぶ道路計画は200万haの泥炭地を開拓するのに有効であり、この種の土地は開発費用が若干高いが、油やしでは20%から30%の高い収穫が見込めると述べた。
 「泥炭地に関する研究開発が行われ、この種の土壌では油やしを育てるのがきわめて有利であることが示された」と述べ、このような海岸地域が開発にとって魅力的な場所になると確信していることを付け加えた。

 以前、タイブ主席大臣は、推定1800万マレーシア・リンギをかけてルンドゥで開発を行う予定の同合弁事業が来年初頭に開始されることを述べた。 「この計画は3期に分かれており、完成までに約3年かかるであろう」と付け加えた。このプロジェクトの第一期は2,000エーカー、第二期は3,000エーカー、第三期は2,722エーカーである。
 「これは公社(SEDC)が引き受ける2番目の油やしプランテーション・プロジェクトである」とタリブ首席大臣は述べた。述べた。このプロジェクトは、地元での2000人程度の雇用を創出し、この地域に大きな開発の変化をもたらすであろう。

 サラワク経済開発公社(SEDC)は、サラワク州における農業部門の開発拡大という政府の目的を実現する上で、主要な役割を果たし続けるであろうとタリブ首席大臣は付け加えた。ホン・リアン開発(株)取締役ロウ・クイット・ソンも、調印式で発言した。ジョホールに本社をおくホン・リアン開発(株)はロウ・ナム・フィ&サンズ・グループの傘下にあり、油やし産業については30年以上の経験をもつ。パハン州とジョホール州に約50,000エーカーの油やしエステートを所有し、またサバ州にも事業を拡大して8,600エーカーの油やしプランテーションを開発している。

■ マレーシア産木材にエコラベル?
 (The Star紙、2000年10月10日/Gwen Benjamin記者)

 緑の問題に関心が高い海外消費者の支持を得ようとする戦略の一環として、マレーシアは海外の環境保護グループとチームを組み、森林経営の改善を図ろうとしている。

 かつてマレーシア政府は、「エコ」とか「グリーン・ラベル」なんてものは市場障壁だと見なしていたものだ。しかし昨年に至り消費者の要求についに屈し、国レベルでの木材認証委員会を設置することになった。同国の木材を買う海外の買い手に対し、彼らが買おうか迷っている木材が、環境に対してよい方法で伐採されたものだと安心してもらえるような仕組みをつくることが目的だ。

 マレーシアの認証基準とあっては、海外の消費者から疑われかねないことを自覚してか、マレーシア木材認証委員会は、メキシコに本部を置く森林管理協議会(FSC)からの推奨を得ることを目指し、同委員会との対話に入っている。
 FSCの認証は、その木材製品が社会的にも生態環境的にも、さらには商業的にも持続可能な森林経営が行われている森林から来たものだと保証するものだ。欧米の政府機関や環境保護グループによって、種々多様な認証機構が運営されているものの、FSCは最も信頼度の高い認証機関として認識されている。そのFSCは、1990年にリオデジャネイロで開かれた地球サミットの後に設立された独立したNGOである。
 「我が国の認証基準をあのFSCが認めてくれたら、必ずや、海外への市場拡大の助けになるだろう」と、地元の認証委員会を率いるチュー・リー・テンは言う。「FSCの存在は、特にドイツや英国といったヨーロッパ諸国においては非常に強いものだ。だからこそ私たちは、FSCとともに働きたいのだ」。また彼はこうも語った。「私たちは、単に市場の要求を満たすためだけに認証制度に参入するわけではない。我が国の森林経営を確実によいものにしたいとも思っている」と。

 マレーシアの木材輸出は昨年、20%成長して171億マレーシア・リンギを記録した。輸出先のほとんどは、中国と日本を含む東アジア市場だ。マレーシアの森林当局者は12月にクアラルンプールでFSC職員と会い、FSC側が条件として要求しているマレーシア国内ワーキング・グループ設立について話し合う予定だ。
 同グループは、森林産業の当事者のみで構成されるわけではない。過去に、見境のない伐採をめぐってマレーシア政府を非難してきた環境保護運動家、先住民族の人びと、そのほかの社会正義を求めるグループ等も、同グループの構成メンバーに加えねばならない。
 チュー氏(前出)は、「FSCからの推奨は、マレーシアにとってはまだまだ後の段階の話だ」と認めている。というのも、グループを構成する全てのメンバーがマレーシアの認証基準を支持するまでは、FSCは推奨を見合わせるだろうからだ。

 マレーシアが独自の木材認証制度に向け動き出したのは7年前からだ。国際熱帯木材機関(ITTO)が、加盟国に向けて持続可能な森林経営の基準を設定したことを受けた形だった。マレーシアは、東南アジアでも最も早くから国レベルでのワーキング・グループを設立し、FSC推奨の獲得を目指した国のひとつだ。同ワーキング・グループは、持続可能な経営をされた森からの産物かどうかを査定し、監視し、認証することになる。
 FSCは現在のところ、同地域の個々の木材会社から招聘され、森林プランテーションの認証を行っている。サバ州でFSCは、ドイツの援助機関から資金の一部を得たプロジェクトの下で、5万5千ヘクタールにわたる州有のデラマコット・プランテーションの認証を行った。ペラ州の他のプランテーションも、FSCとの話し合いに入っている。

 マレーシアは既に過去4年間にわたり、「グリーンな」木材をオランダに売ってきた。これは、オランダの独立系木材認証団体であるカーハルト基金との合同プログラムによる。オランダは、マレーシアの製材の最大輸入国であり、昨年の輸入量は1.2%増加し、5億3,220万マレーシア・リンギにのぼった。しかしながら、マレーシア産製材のヨーロッパ連合への輸出総量は昨年、2.9%減少している。
 マレーシアがカーハルトと組むことを選んだのは、1990年代半ばに同国製品のオランダ市場が3分の1も落ち込んで以降のこと。買い手が、ラベルなしの木材製品の購入を避けたために起きた事態だった。
 しかし、カーハルトの常務理事・キース・ボスジクは、近年、森林保護団体による多彩な認証制度が増殖していることを憂慮している。彼は最近、クアラルンプールで開かれた森林会議において、「ラベルは単一のものがよりよい」、(認証機関同士の)「部族間抗争」は消費者を混乱させるだけだと指摘している。新たな制度には、全ヨーロッパ森林認証、全アフリカ森林認証などがあり、フィンランドは同国独自のシステムを持っている。

 WWFのバルー(前出)によると、過去においてはマレーシアのような熱帯木材輸出国と環境保護グループは仲違いしていたものだが、今や心機一転して対立姿勢を変えようとしているという。「実のところ、幾つかの自然保護団体は、私たちが寛容過ぎると批判しています。彼らは認証制度を、伐採免許のようにとらえているんです」と彼は語る。「でも、もし僕らがこれを始めなければ、伐採はそのまま続き、結局は森林を失うことになるんです」。WWFは地域の認証委員会に参加し、FSCのメンバーでもある。バルーによるとWWFはまた、インドネシア、パプア・ニューギニア、カンボジアとベトナムでもFSCの推奨を得た国レベルのワーキング・グループが設立されることを目指して動いているという。

 森林保護政策をきちんと守らない木材輸出業者によってFSCの認証ラベルが悪用されてしまう恐れはないと彼は語る:「木材を追跡することは可能です。違反が起これば、認証を失うという大きな危険が控えています。認証自体が輸出業者にとって鼻の先のニンジンなんですよ。」
 しかし、アメリカと英国に拠点を置くEnvironmental Investigation Agencyのジュリアン・ニューマンは、FSCのシステムは「紙の上ではよいプラン」だが、しっかり取り締まらない限りは「ニセ書類制度」になってしまう、と語る。貪欲な伐採会社にとっては、見せるだけで木材の合法性の証しとなるFSCのラベルは、ヨーロッパで木材をもっと高い値段で売って金儲けをするための方便に見えかねない。ニューマンは最近ジャカルタで、「彼らはこのラベルを、『ちょっとした目先変え』と見なしていることだろう」と語った。


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