サラワクは今…


■ プランテーションに立ち向かった人々の運命やいかに? 〜ウル・ニア裁判続報〜

 1999年11月16日、起訴されている先住民族18名(少年一名は含まず)は、陳述のためにミリの裁判所に連れていかれた。
 裁判が開始されると、検察担当のアン・ショウ・オーン警部は裁判官に対し、刑事訴訟法177A条(1)を適用して、陳述日を変更するよう求めた。
検察側は、日程変更に対し2つの理由を挙げており、一つは化学報告(chemist report)が未だ準備できていないこと、もう一つは検察官の同意がまだ取れていないことだと説明した。警部は「政府高官」より陳述の日程変更をするよう言われていることを明らかにした。
 刑事訴訟法177A条は、訴訟を移管して、高等裁判所の管轄にすることを認めているが、それには検察官の同意が必要となっている。
これに対し、住民の弁護を引き受けているチェン・ヒュイ・ホンは弁護士は、住民に対する罪状が正式に与えられているのかどうかについて、裁判所の説明を求めると同時に、住民が既に2ヶ月間もの間勾留されていることに抗議し、裁判の延期は不公平であると主張した。
 弁護士は、化学報告(chemist report)が準備できていないことは、刑事訴訟法177A条(1)で規定されている裁判延期の理由にはなり得ないと述べ、なるべく早い時期の裁判開廷を求めると同時に、その日までに検察側は検察官の同意を取り付けておくよう要請した。
 モニカ・リティス裁判官は、弁護側の主張を認め、1ヶ月の時間枠を設けて裁判を進めることを決定した。
 裁判は1999年12月16日に延期された。
 この裁判の間中、ミリの裁判所の周りには、勾留されている住民の家族や近隣の村の人々、約150人が集まり、住民の安全を祈った。
 1999年11月15日には、勾留されている19人に対する精神的サポートを目的に、逮捕者の出たルマ・ブサン村とルマ・バリ村で、「ミリン」と呼ばれる伝統的儀式も開かれた。捧げ物はミリの裁判所にも持っていかれ、裁判所の周りのフェンスに結ばれた。こうした慣習は、勾留されている住民たちに望みと力を与えるものとして、信じられている。
 ミリの裁判所は開廷前から約100人の人々で埋め尽くされ、傍聴席に座れないものも出た。座れなかった人々は法廷の後ろで、立ち見状態で裁判の行方を見守った。
 勾留されている18人が法廷に入ってくると、場内の雰囲気は一変し、傍聴席に座る住民たちの顔には悲しみが溢れた。席では何人もの女性が涙をこらえられずに泣き出す者もいた。しかし勾留されている18人は違った。彼らは誇りをもった、勇敢な顔つきで入廷し、彼らを見守る家族や友人を見渡し、そしてそっと微笑みかけた。
 裁判官が着席すると、家族や友人は愛する18人に駆け寄り、彼らの手を握り、元気であることを祈った。
 勾留されている住民の家族は、裁判が終わると法廷出口に集まり、しばし愛する家族との時間を持った。それが終わると、すぐ、18名はまた警察のトラックで連れていかれてしまった。
 ビントゥル、ミリ地域の村々の代表者も、勾留されている住民の精神的サポートをしようと裁判所に駆けつけていた。シミラジャウにある村々からは、かなり大勢の先住民族が応援に駆けつけ、また地元NGOスタッフ、ミリの民主行動党(DAP)から野党メンバーも集まっていた。

出展: Rengah Sarawak

■ バクン再定住プログラムの調査開始を要求 〜1999年11月18日シブ〜

 1999年11月18日、NGO5団体がバクン再定住計画の計画および実施の仕方に対する、第三者機関による調査を要請した。

 要請を出したのは次の団体である。
・ Borneo Resource Institute, Malaysia (BRIMAS)
・ Indigenous Peoples Development Centre (IPDC)
・ Integrated Development For Ecofriendly and Appropriate Lifestyle (IDEAL)
・ Sarawak Access (SACESS)
・ Baram Community Organization (KERUAN)

 IDEALのウォン・メン・チュオ氏が代表として発表した声明では、政府に対して今年5月7〜14日の独立調査団が出した勧告に早急に対応するように要求している。
 政府は対象者の間に大変な不満を引き起こした再定住の様々な問題を調査すべきだ、というのが彼らの基本的な主張である。
 例えば、この計画で実際に利益を得たのは誰か、契約を得たのは誰か、建設されたロングハウスの質が悪いのはなぜか、それらのロングハウスの値打ちはどれくらいなのか、といったことを知りたいという。
 彼らは、適切な承認計画(approval plan)と建物の適合性に関する証明書(Certificate of Fitness)の欠如が、ロングハウスの質を非常に悪くしていると主張している。
 また、定められた手続きが取られていないこともあるという。
 最も問題なのは、すでに壊れ始めているロングハウスに対し、人々が一家族あたり52,000リンギ(約161万円)を支払わなければならなかったことである。住民はそうした扱いを嫌がらせであると感じている。
 また、法律や規制をあからさまに無視した者に対してサラワク州政府はどのように対処するのかを尋ねた。
 加えて、再定住地域の代わりに上流へ移動することを選んだ家族の社会的・文化的、その他のニーズを政府はすみやかに調査すべきだと主張した。
 「彼らがこの国の国民として、教育、保健、その他の公共サービスを受ける権利を保障するためにも、これは不可欠である」
 政府は、バクン水力発電プロジェクトの影響を受ける先住民族、約9,500家族のために、ロングハウス15棟から成るスンガイ・アサップ再定住計画を実施するため、すでに約3億リンギを費やしている。
 第一回目の移住者(推定1,639家族)は、1998年9月15日に7,400ヘクタールの土地に移住を開始した。
 移住地は、ビントゥルから伐採用道路を利用して、車で約5時間の位置にある。

出展:マレーシア国営ベルナマ通信

■ エンパワーメントのシンボル 「ガワイ・クリンカン(Gawai Kelingkang)」の祝祭
  〜シブ省ブリンギアンのルマ・リプ村にて〜

 第10回マレーシア総選挙の候補者指名日である1999年11月20日、サラワク中央部と北部の先住民族「戦士」約30人が、シブから北東に130km程のサラワク中央部にあるルマ・リプ村に集結した。「ブジャン・ブラニ(bujang berani)」[1]と呼ばれるこの戦士たちは、トゥト川上流、バコン川、ナット川、ティンジャー川、スバトゥ・ニア、ウル・ニア、スカバイ、ブリンギアン川などから集まった人々である。
 夜になるとサラワク各地と海外からの参加者も村に到着した。一部の参加者は、祝典の場にくる前に、近くのボルネオ・パルプ製紙社(BPP)[2]のプランテーションを訪問した。祝典の開催地として、このプランテーションに影響を受けている地域の22の村の一つが選ばれたのである。
 高まる選挙熱にも関わらず、600人以上もの人々が、「Gawai Kelingkang」と呼ばれる祭典に集まった。ウル・ニアでも、油やしプランテーションの侵入から先住慣習地を守るために、ほんの1ヶ月半前に同じような集まりが開かれた。[3]
 夜の歓迎会では、リプ村長(48家族を代表するこのロングハウスのリーダー)の話の後、主催者であるボルネオ資源研究所(BRIMAS)がスライドを上映し、この2、30年間に起きた自然資源搾取の度合い、サラワク先住民族が疎外されてきた状況を説明した。

 翌日の朝、早朝から降り出した雨が止むと、戦士の行列が始まった。伝統衣装と頭飾りを身に付けた「ブジャン・ブラニ」が、昔の首狩りの勝利の祝いを再現した。 植民地時代、19世紀半ばから第二次世界大戦までサラワクを統治したイギリス人国王ラジャは、ダヤク(サラワクの先住民族の総称)をなだめ、首狩りの習慣を廃止するために母国からキリスト教宣教師を招いた。
 この過程で、英国人たちは権利を守るために闘っていたダヤクの人々の非武装化を進め、それは後に「アダット」と呼ばれるダヤクの慣習法を衰退させることにつながった。1970年代にサラワクで天然資源の開発が始まると、その衰退は一層進んだ。
 先住民族の熱帯林や、先住慣習地、そして「プマカイ・マヌア(pemakai manoa)」と呼ばれる先祖伝来の土地は露骨にも破壊され、木材伐採、水力発電ダム、油やしやパルプ用樹木のプランテーションといった開発の名の下に搾取され続けている。
 祝祭の行列は、昔に交通手段として使われていた川にかかる橋から出発した。
 戦士たちは、勝利した一団が敵の頭(実際はラタンの籠の中のココナッツ2個)を手に家へ帰ってきた場面を演じ、ドラが鳴り響く中、ロングハウスの正面で伝統衣装を身にまとった女性たちに出迎えられた。
 2人の女性が「プア(pua)」と呼ばれる伝統的な布を広げて敵の頭を受け取った。 勝利の叫びの中、彼らは「Oh- hoi, A-ya.....」と繰り返し唄いながらロングハウス前の祭壇に向って踊り、戦利品や武器を飾った。
 続いて、「ミリン(miring)」と呼ばれる精霊に感謝する儀式が行われた。祭壇の周りでは踊りが続き、侵入者を呪うために黄色い米が蒔かれた。そして鶏がさばかれ、焼かれた。この鶏を一口食べると勇敢になると信じられている。
 戦士たちがロングハウスへ入る前に、階段の下で豚が槍で刺され、トゥア(酒)がロングハウスへ入っていく人々にふるまわれた。勇士たちはロングハウスの廊下を端から端まで、ドラの音に合わせて一周行進し、村長の部屋の前の廊下へ戻った。少年少女も衣装を身にまとい、行列に加わった。これはブジャン・ブラニの伝統が将来も継承されていくことを確かにするためである。
 行進の最後には、自分たちの土地を守るためにそれぞれのコミュニティで勇敢に「闘ってきた」現代の戦士たちに、ブジャン・ブラニの名誉が与えられた。
 今回の祭りのホスト、他の男たちの多くと同様、キリスト教徒であるリプ村長は、この伝統儀式に参加した。この祭りの光景は「弱い者に力を」というはっきりしたメッセージを伝えてくれる。彼らの中のキリスト教徒の一人が聖書から次の文を引用した。「戦いに備えよ!勇士を奮い立たせ、兵士を集結させよ。お前たちの鋤を剣に、鎌を槍に打ち直せ、、、」(ヨエル書 3章 9-10節)。恐らく、これは昔のキリスト教宣教師が公正さと正義を欠いた時代に、見逃してしまった一文であろう。
 祭典は続き、連帯のメッセージが読まれ、それぞれの流域で人々が奮闘してきた経験が共有され、NGOの代表たちがスピーチをした。また、ニアのルマ・ブサン村の代表のスピーチが終わると、ウル・ニア裁判の費用を支援するために寄付が集められた。
 その夜は人権、従来の開発に替わる開発、先住慣習地に関する課題や戦略についてのワークショップが同時並行で開催され、決議がなされた。宣言の確認や文化交流を通じて、参加者がお互いの絆を深めあった夜会は、翌朝早くまで続いた。

[1] ダヤクの戦士は、コミュニティ共通の利益のために戦った勇敢な人々である。昔は敵の頭を持ち帰ると名誉を与えられた。
[2] ニューヨーク株式市場の上場企業であるシナルマス社と、州有のサラワク木材産業開発公社(STIDC)が共同経営するボルネオ・パルプ製紙工場に原料を供給するため、26万ヘクタールの計画地域内にある、6万ヘクタールの先住慣習地に2種類のアカシアが植えられることになっている。
[3] 1999年9月上旬、[プランテーション労働者らに棍棒・刀など攻撃された住民が]自己防衛行動を取った際に、プランテーション労働者4人が死亡、3人が負傷した。ロングハウスの住民19人が逮捕されている。

出典:Rengah Sarawak.


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