
オーラル・ヒストリー
書き手:Aaina
突然だが、サラワクの先住民族は口承伝達で自分たちの歴史や文化を継承してきており、それらを文書に残すということをしてこなかった。というより、多くの場合自分たちの歴史に興味を強く示す傾向はきわめて低く、皆、無関心極まりない(特にイバン民族)。
「イバン性」の強い地域(例えばカノウィット)に行くと、それでも昔の話を、長唄の中に織り交ぜて唄ってくれるおじいちゃんたちがいる。私の知り合いのおじいちゃんは、70歳代(もちろん正確な年齢などわからない)。骨と皮しかない体で、よくもまぁ、その力は一体どこからくるのでしょう?とこちらが首を傾げてしまうくらい力強く長唄(?)を唄い、日本で言う形象文字のような文字を木の切れ端に書いて、「昔これがイバンの文字だったんだ」と披露してくれる。そのおじいちゃんの実の息子(46歳)でさえ、「全然何が書いてあるのかわからない」と唸らせる特殊文字(後日、学術界との接触により、この形象文字が書ける人は相当珍しく、貴重であることが判明)&古語による長唄、だ。おじいちゃんの年齢(70歳代)のいくらかは昔のことを良く覚えている。自分たちの系図もほぼ完璧に書ける。ただ、息子の世代(40歳代〜50歳代)は全然ダメだ。あっちで言っていることとこっちで言っていることのつじつまが全然あわない。「昔のことなんて良く覚えてないよ」と、まるで他人事のように、全く無関心。おじいちゃんの歌う長唄にも、耳は傾けるけど興味はわかないらしい。「お父さんから長唄を習ったり、絵文字を習ったりしようとは思わないの?」と息子の世代に尋ねても、「興味ない。」「それより、日本でドリアンはいくらになる?」と身を乗り出してくる。

この世代が、体と頭の中に豊かな歴史&オリジナル文化をもっとも刻み込んできた
「おじいちゃんたちの世代」。歴史的記憶力の抜群な人が多く、(女性も併せて)
その刻み込まれたものを次の世代にどう伝えていくのか。。。
(撮影:Aaina、2000年6月1日)
イバンの歴史は、日本の大和王朝から続く歴史に比べると、あまり長いとは言えない。おじいちゃんたちの長唄のなかに織り交ぜられている歴史的描写も、遡って150年くらい。ブルックス王家がサラワクを支配していた時代。自分の先祖がインドネシア・カリマンタンから国境(その当時はもちろん、国境なんてモノはなかったわけだけれど)を越えてやってきた頃の話。森に住む精霊の話。精霊に捧げる祈りの唄。それらを、いわゆる「古語」を使って唄う、というか、語る。彼らなりのリズムを伴って。その「古語」は、日本の私たちにとって「古文」という学科を学ばなければその意味がわからないように、通常のイバン語からはかけ離れている。
だから息子の世代には、おじいちゃんが何を語っているのか、その唄を聴いただけではわからないのだ(でも、皆神妙な顔をしてじっと聞き入っているけれどね)。そしてその唄は、長い。非常に長い。放っておくと翌日の朝まで唄ってる。私は疲れて、寝入る。目を覚ましても、昨日と同じところに、昨日と同じような調子でまだ唄を唄っているおじいちゃんをみて、呆然とする。そのおじいちゃんたちが他界(!)する前に、今すぐに、しなければならないことがある。それがオーラルヒストリー(口承伝達による歴史)の聞き取り調査だ。「今すぐって言わなくても、おじいちゃんたちが死んじゃったらそれはそれで、新しい歴史をまたつむいでいけば、いいんじゃない?それがイバン文化なんじゃない?」と思うかもしれない。それが、そんな悠長なことは言っていられないのだ。なぜなら、オーラルヒストリーをおじいちゃんたちから聞き出し、記録するというのは、彼らの文化保護という側面からだけではなく、彼らの慣習地を政府の強制開発プロジェクトから守るために、なくてはならない要素だからだ。

この「おじいちゃん世代」と「息子世代」の違いは顕著である。興味、学歴、生き方、価値観。
それがある意味、今すぐオーラルヒストリーの調査をしなければならない理由かも
(撮影:Aaina、1999年5月末)
近年サラワクでは、先住民族が大手開発企業(多くはプランテーション、木材関連)及び州政府機関(土地調査局や警察、森林局等)を相手取って起こす訴訟が頻発している。最近の有名なところでは2001年のRh. Nor (イバン民族)によるボルネオ・パルプ(早世樹種プランテーション)を相手取った訴訟、2003年、ウルバラムのプナン民族3コミュニティがサムリン(伐採企業)を相手取った訴訟などがある。私の個人的な調査によれば、2002年・2003年はミ リの高等裁判所もクチンの高等裁判所も先住民族の土地関連の裁判で溢れかえっている。その、先住民族が訴訟を起こす場合に、裁判所で彼らの土地に対する、彼らの法的正当性を立証しなければならない。その土地を伐採やオイルパームやその他のプランテーションなどから守るために。では、どうやったら法的に、先住民族の土地に対する正当性を立証することが出来るのだろう?
サラワクには「土地法(Land Code)」というものがあり、それがサラワク全土の土地区分(5つ:詳細はイブリン・ホン著「サラワクの先住民」等を参照のこと)及びその区分の確立の方法について定めている。5つの土地区分の中に、先住民族が慣習権を行使できる「先住慣習地:Native Customary Rights Land」というカテゴリーがあり、通常先住民族はその慣習地に住んでいる。そして、この「慣習地」が大体の場合、開発対象となり、多くのトラブルが、地元先住民族と開発主体である企業及び州政府機関との間に起こる。いわば、「いわく付の土地」である。どうしてこの慣習地が多くのトラブルを引き起こすのか、については次回に譲るとして、どうやったら先住民族はその土地に対する慣習権を確立&主張することができるのかをここでは見てみよう。「土地法」によれば、1958年以前に以下の6つの方法によって慣習権を確立した土地については、先住民族に慣習権を与え、慣習地として認識するよう定めている。その6つの方法とは、
1. 原生林を切り、その土地を使っていること(=焼畑地)
2. 果樹を植えていること(=果樹園)
3. その土地を占拠しているか農業を行っていること(=ロングハウス居住地か農地)
4. お墓や神社としてその土地を使用していること(墓地・仏閣)
5. 土地区分に従った固有の利用
6. 他の合法的手段
上の1−4は比較的分かりやすい。土地を見ればイッパツで分類できる。そして5、6は表現が非常に曖昧だ。
上述の2001年5月に判決の出た裁判で、Borneo Pulp and Paper(BPP:早生樹種プランテーション操業企業)に勝訴したRh.Norというイバンコミュニティを覚えていらっしゃるだろうか?(詳しくは2001年8月号アップデートを参照。)彼らの土地の一部がBPPのプロジェクトに強制的に奪われ、それに抗議をした先住民族コミュニティが土地奪回及び補償金の支払いを求めてBPPを高裁に訴えた。この裁判の最大の焦点は、彼らがPemakai Menoaと呼ぶ、狩猟・採集を行う森だった。焼き畑地や果樹園、ロングハウス居住地は、上述の土地法の1〜4に相当することが一目瞭然でそのlocationも広さも見れば一目でわかる。したがって先住慣習権が明確に確立するから争点とならなかった。その代わり、彼らが長年、野生動物を狩ったり、魚をとったり、野生の野菜や果物を採取してきた森(Pemakai Menoa)で、先住慣習権が確立しうるのか、その先住慣習権は政府の開発プロジェクトよりも優先度が高いのか。それがこのRh.Norが起こした裁判の、最大の焦点となっていた。外から見たのでは、そのPemakai Menoaは先住民族によって昔から(現在にいたるまで)使われてきたことは、全くわからない。なぜなら、動物、魚は移動しているものだし、それを捕っても何の痕跡もその土地には残らないからだ。だから単なる放棄された土地=州有地に見える。だから政府は調査もせずに勝手に州有地だと思い込んでBPPに貸し出してしまった。ところが操業を始めたら、そこが先住民族のPemakai Menoaの一部であるとRh. Norの住民たちが主張し始めた。
彼らの裁判で最も重要視されたのは、彼らが地元NGOの協力を得て作成した、彼らの慣習地の地図と、長老たち(およびPenghulu等の地域権力者)による口頭の証人喚問であった。地図は、GPS(グローバル・ポジショニング・システム:カーナビなどについている、衛星を使って居所を知ることのできる機材)を使って、正確なものを作成した。この行程はマッピングと呼ばれ、現在サラワクの、土地抗争を抱える先住民族の間で最もホット&ポピュラーなプロジェクトとして注目を浴びている。口頭による証人喚問では、お年寄は一人一人壇上に上がると、昔からそこをどのようにして使ってきたか説明を始めた。そのPemakai Menoaの中にあるこの地域にはこんな伝説が残っているんだ、昔こんなことが起きてそれ以来霊が守っているんだ…という具合に。そしてそれらの証言は最終的に、このコミュニティが先祖代々、1958年以前からその抗争地をPemakai Menoaとして使ってきたことを証明し、晴れてRh.Norコミュニティの勝訴となったわけである。そして先住慣習権を確立する方法の5と6はそのような事態に対応できるように出来ているのである。ということは、先住慣習権を確立するためには(政府主導のプロジェクトに先住民族の土地を持っていかれないためには)、長老による歴史叙述が決定的証拠の一つになりうる、ということを意味している。でも、イバンを初めとして、サラワクの先住民族は自分たちの歴史を書き残すなんて事はしない。長老が死ねば歴史叙述は長老と一緒にお墓の中行き。そして先住慣習権を確立しうる決定的証拠も決定的に一つ減ることになる。

この「孫の世代」のうち、何人が自分の民族のルーツに興味を持ち、
その文化や 生活習慣を踏襲したい、と思うだろうか?
(撮影:Aaina、2002年11月末)
サラワクのNGOは、こぞってどこも、外国のNGOの資金及び技術協力を得て、マッピングプロジェクトを敢行している。前述のように、農地・ロングハウス居住地は見れば見事にそのLocationがわかるが、先住民族が慣習地として使用している土地には、墓地(土葬をし、墓碑を立てない先住民族の墓地は当事者でないと一般の森と見分けが付かない場合が多い)や森林産物・野生動物・魚を取る場所など、一見してそこが使用されている土地なのか、未使用&放棄された土地なのか、見分けのつかない所も含まれている。その慣習地を、GPSを使って調査することにより、他者(特にこの場合、開発主体である企業及び政府)に「地図」という媒体を使って、場所とその広さを提示することが出来る。そのためマッピングは先住慣習地を“開発プロジェクト”から守るのに欠かすことの出来ない要素だ。それに加えて、先住民が好き勝手に先住慣習地をクレームしているわけではない、という論的証拠を示すのがオーラルヒストリーだ。そのため、先住民による土地抗争を引き受けている弁護士たちが口を揃えて唱えるように、マッピングはオーラルヒストリーとダブルで行うことに意味がある。どっちか単体では、効果は半減なのだ。
マッピングは、先住民にとって目新しい機材であるGPS(しかもそれが操れる人は「頭が良いに違いない」という思い込みがほとんどの先住民にはある!コンピュータのように。)を使って行われ、アウトプットとしても「地図」という目に見えるものが出てくるため、先住民の興味とやる気(特にイバン民族はこの点、とても“ゲンキン”な民族なのです)をそそりやすい。
しかし、オーラルヒストリーとなると、老人の言っていることをコツコツと地道に聞き出し、それを文章にしてまとめる、というとても地味(かつ誰にでも出来そう)な作業として認識され、多くの人はやる気を感じないらしい。いくらその重要性をといてみたところで、「わかった。マッピングが終わったらやっておくよ」という言葉を残して、私は今まで一度たりとも、そのまとまった記録(だけでなく断片的なものですらも!)をこの目で見たことはない。それに加えて、マッピングを技術・支援援助している外国のNGOも、財源、人的資源ともに、オーラルヒストリーを採取するところまで余裕がないのが現状であり、マッピングに比べて、このオーラルヒストリーは著しく未発達の分野である。しかし、現在の70歳代以上の寿命はそんなにあとが長くないと見るのが妥当だろう。彼らがこの世を去れば、その豊かな記憶、歴史もまた闇の中へ葬られてしまう。オーラルヒストリーの調査は、今、やるしかない。