ウル・バラム通信(1)

ここ数年、夏休みの数週間、ウル・バラム(現地語でバラム河奥地の意味)のプナン集落に通い、彼らの森林資源利用について調べています。そこで、現地で見聞きしたことを本誌上で4回にわたってレポートします。今回は、私が特に興味をもっている林産物をとり上げます。

沈香の価値
ところで、最近、近所のカルチャー・センターで、年配の女性方にまじってある習い事を始めました。それは、茶道、華道と並んで中世におこった日本の伝統文化の1つ、香道です。香道の精神や作法、道具類などもそれなりにおもしろいと思うのですが、私の関心はもっぱらそこで使用されている沈香と呼ばれる香木にあります。
沈香は東南アジアの熱帯雨林から産出されます。沈香は、ジンチョウゲ科ジンコウ属の材が何らかの障害を受けて、その周囲に集積凝固した樹脂のことです(写真1)。その樹脂に火をつけ、燻すことによって、幽玄な香りが発生します。沈香は長年にわたり交易の対象となってきました。主に、中近東などのイスラム圏や中国などの仏教圏に輸出され、香を焚いて清めるという宗教行事の小道具として使われてきました。かつて香港は文字通り香木を扱う港として栄えていました。沈香にはいくつかの等級がありますが、最上級品ともなると、日本では1グラム1万円で販売されるものもあります。純金やプラチナよりも数倍高い値ですから驚きます。
このように宗教や伝統文化と深く結びついている沈香ですが、実はその生態的情報についてはほとんど明らかになっていません。山奥深くに存在するため、サラワクでは、森をよく知るプナン人しか沈香を採ることはできないといわれています。私はこの神秘の林産物ともいうべき沈香採りを見に行くためにプナン人のBL村へと向かいました。

森で沈香木を探す
BL村はウル・バラムの原生的森林に囲まれています。海岸部の都市、ミリから車で10時間ほど伐採道路を上り、さらに徒歩で2時間ほど進むと村に到着します(写真2)。また、ミリから週2便出ているプロペラ機で、ロング・バンガへ飛び、そこからボートや車を使う方法もあります。村の人口はおよそ30世帯、120人ほどです。主な生業は、狩猟採集と焼畑耕作です。世帯当たりの月収はおよそ55リンギ(1,650円)で、主な収入源は沈香と籐で編む手工芸品です。
 さて、沈香採りの概要をご紹介しましょう。まず、沈香木を探すためには、森の奥深く、道なき道を何時間も歩き回ります。私の場合、擦り傷、切り傷、つま先の打撲などが絶えません。また、無数の蚊やハチ、ヒル、トゲ植物などとも闘わねばなりません。途中、数え切れないほどのヒルを靴の中からつまみ出しました。しかし、プナンの友人はどんな場所も裸足で平気です。ヒルに刺されてもほとんど気にしていません。
私は友人の背中を頼りに歩くだけですが、プナンは落葉や樹皮に注意を払い、沈香木を他の樹木と識別しています(写真3)。カリマンタンなどでは、沈香木を見つけるとまず切り倒してしまう例が報告されていますが、BL村のプナンの場合、沈香成分の集積部だけを斧やナイフで削りとる場合が少なくありません。沈香木を切り倒さなければ、その木に再び樹脂が一定量沈着する可能性が残されます。
集落周辺の約90haを歩いて、73本の沈香木(Aquilaria beccariana)を記録しました。生息密度は1haに1本以下とかなり低いものです。さらに、すべての沈香木が沈香成分をもつのではないということ、仮に沈香成分をもっていてもそれは沈香の木の全体に及ぶものではないこと、沈香成分はある程度成長が進んだ林木において発生することも知りました。ある程度の大きさの沈香を見つけるには、それなりの経験や技術に加え、運も重要です。1ヶ月間森を探し歩いて、収穫ゼロの人もあれば、等級の高いものを何キロも見つける人もあります。
また、商業伐採や焼畑の跡地でも沈香木を探してみました。商業伐採後8年を経過した森林約50haでは2本、焼畑跡地15年を経過した森林約10haでは1本しか見つけることはできませんでした。商業伐採や焼畑利用が入ると、沈香木はほぼ失われてしまいます。

森の恵みを見直す
現在、サラワクでは、国立公園と野生生物保護区を除いて、まとまった面積の原生的森林はもうほとんど残っていません。その中で、ウル・バラムには商業伐採の入っていない一定の広さの森が残っています。しかし、BL村に隣接する森では、本誌で報じられているように、MTCCというマレーシア版の森林認証を後ろ盾に、Samling Plywood社が伐採を始めています。MTCCはプナン人の森林利用の慣習的権利をまったく認めていないため、プナンはこの伐採に強く抗議しています(この問題について次回レポートします)。
林業分野では、これまで木材がメジャーな林産物、それ以外はマイナーな林産物と区分されてきました。しかし、サラワクの歴史を溯ってみれば、熱帯雨林が木材という林産物に特化して伐採され始めたのは、ほんの数十年前のことです。半世紀前までの交易財として、非木材林産物の輸出額は木材のそれをしのいでいました。沈香をはじめ非木材林産物の採取では、必ずしも森林を伐り出すことなく、一定の生産性を確保することが可能です。そして、木材に比べはるかに適正な価格で取り引きされ、その結果、森林にかかわる人びとに利益が還元されてきた歴史があります。熱帯雨林とそれを利用する文化をまもるためにも、木材以外の林産物の価値を改めて見直し、それらの持続的利用を保障する政策的なオプションがありうるのではないかと考えています。


写真1. 沈香    

写真2. 沈香木の葉