
サラワクの奥地を訪ねて
By YUU
今年2004年8月のはじめ、私はうまれて初めてマレーシアを訪ねた。マレーシアのサラワク州を訪ねた目的は大きく分けて二つあった。一つ目は、現地で先住民側にたって活動しているNGOの団体を訪ね、彼らの活動がどのようなものであるかを実際に目で見て、彼らの話を聞いてくることである。二つ目は、森林伐採や油椰子プランテーションといった開発を目で見て、それらの開発がいかに先住民族の人々の生活に影響を与えているのかを先住民の人々と触れる事によって感じてきたい、というものであった。滞在は約2週間と短いものであったが、私には一生忘れられないものとなった。
ここでは、プナン人の住むLA村で私が見てきたこと、感じてきた事を述べようと思う。
<初日(LA村に到着するまで)>
LA村を訪ねる日の朝、私たちは必要なものを買いそろえ、村の人たちに喜んでもらえそうなもの、コーヒーやミロ、カップヌードルのようなものを買い込み、伐採道路を車で長時間、六時間以上走りに走った。伐採道路は整備されたものではなくボコボコのひどい道であったため、車ごと飛んだり跳ねたりの連続であった。途中途中でトイレ休憩(トイレがあるわけではなく、茂みに入って用をたすのだが)はあるものの、すっかり体中が痛くなってしまった。大量の木材を積んだトラックが猛スピードで何度もすれ違い、そのトラックが巻き上げる砂埃で前が見えなくなり私たちは何度も車を止めなければならなかった。伐採道路の直ぐ脇の植物は砂をかぶって、元の色である緑色は見る影もなく、砂色となってしまっていた。伐採道路が奥地にまで延びてきているために、熱帯雨林の奥地に住む先住民の人々に昔よりも比較的会い易くなった、と聞くと、皮肉だと思わずにはいられない。車の中で流れる民俗音楽を聴きながら、私は窓から見える果てしなく続くように思われる熱帯雨林を飽きずにずっと眺めていた。
車を降りると、重いバックパックを持って実際に熱帯雨林の中に歩いてLA村へむかった。これが大変だった。それなりに普段からスポーツをやっているため、体力に自信がない訳ではない。が、熱帯雨林に入ってすぐに重い荷物を持っているためにバランスを崩して滑り落ちた。暫く山を登ったり降りたりしていると、もう膝がガクガクしてくる。やっと、山を上り下りして川を渡って村にたどり着く頃には、既に周辺は真っ暗になっていた。全身汗でずぶぬれであった。
村では子供から大人まで、多くの村人たちが私達の到着を待っていてくれた。まず、村に入って驚いたのが、明かりがあるということであった。後で聞くと自家発電を用いているということであった。私たちが泊まる家とその付近だけではあったが、電気など全く使われていないと思っていた私にとってそれは大変衝撃的であった。そこの村に外国から人が来ることは数年ぶりらしく、村人達は興味深げに私たちを見ていたのが不思議な気分だった。その日は、冷たい川で汗だくの体を洗い、その後村人達と和やかに談笑し、そのまま蚊帳をつって床に就いた。
<LA村で>
村人とのミーティングにてまず、SCCのメンバーと一緒に、当初の目的であるオーラルヒストリー(口承伝達による歴史)の聞き取り調査の活動を行った。行ったといっても、私はマレー語も彼ら独自のプナン語も喋れないため、ミーティングの最中にSCCメンバーでマレー語が喋れる日本の方にところどころ説明をしていただきながらの参加という形をとった。
オーラルヒストリーを聞き取るという調査は、何度かサラワクアップデートで紹介されているように、文化保護という面だけでなく、政府の強制的な開発から彼らの慣習地を守るための大きな力を持つ。特に、人の名前がついている川や地名は、彼らの慣習地であると主張するのに大きな力を持つということであった。それらを聞き取るためには、彼らの歴史や思い出話をも聞く必要があるために、年長者を呼んでのミーティングとなった。
又、私達の当初の目的であるオーラルヒステリーとは別に、彼らが日ごろからもっている企業による強引な森林伐採などの開発に対する不安を語り、それに対してどうすればいいか等といった意見を求めてもきた。村は、伐採の代わりに「保証金を貰っても、お金は直ぐに使ってしまう。森林を資源として残しておきたい」と主張していたのが印象的だった。
A 環境
村の直ぐ近くには川が流れているのだが、これがとても綺麗な川である。しかし、村人たちによれば、乾季である今は綺麗であるが、雨季に入ると汚れてしまうという。しかも、伐採がはいってくる前の昔は、もっと綺麗であったというのである。それでも、夜になると蛍が大量に飛び交い、美しかった。プナンの男の子が蛍を取って見せてくれたが、そこの蛍は昼の光を受けて発光していて、懐中電灯の光を当てると更に強い光を発していた。川の中には、小さい魚が沢山存在し、時には蛙や亀をも見ることができた。LA村の人々は、そこの川で手製の狩猟道具(木とゴムで作ったパチンコのようなもの)で、小学生高学年くらいの男の子達も一緒になって魚とりに奮闘していた。私も魚とりに挑戦させてもらったが、無理であった。
プナンの男性と魚取り機
朝は霧に包まれた幻想的な美しい村であった。しかし、私には一つだけ気になる事があった。それは、ゴミのことである。村の人たちは、町から乾電池や歯磨き粉、缶詰食品といったものを手に入れるのだが、それらの処理がそのままであるのだ。不燃ごみ回収が町から奥地までに入ってくるのは無理であるが、何か良い方法がないものかどうか、考えさせられた。
B 村の周りをガイドしてもらって
英語とプナン語を喋れる人に、村の周りをガイドしてもらった。焼畑を行い野菜を植えているところや、彼らの主食であるサゴヤシのでん粉を取り出すために必要な道具などを見せてもらった。サゴヤシの澱粉を食べたが、白くもちもちしたもので、粘り気のあるそれを先が何本にも分かれた棒で巻きつけるようにして食べるのだ。正直な観想を言えば、無色無臭無味、であった。又、狩猟の際に彼らが使う吹き矢の道具となる木を見せてもらった。
一番印象的であったのは、彼ら独自のコミュニケーションとして使われるOro’を直に目にしたことである。それは、ある一本の木の前に存在し、その意味は、「その木が誰かにとって大切な木である。切らないで下さい。登らないで下さい。」といったものであるそうだ。Oro’の話は以前にも聞いてはいたが、実際に見ると、私にとってはなんでもないものが、彼らにとっては大きな意味を持ち、又その意味を彼ら同士で共有しあえるという彼ら独自のコミュニケーションのとり方に感銘を受けた。
<最終日>
最終日の夜、村人たちは村総出で私たちをもてなしてくださった。彼らが外の世界に売るために飼っている鶏を殺して、私たちにご馳走を作ってくださり、鹿の肉も出てきた。広間のようなところに大人も子供もぎっしり詰め掛けて、皆でワイワイと楽しいときを過ごした。皆が一つの大きな家族のような感じで、心がとっても温まるひと時であった。食後はジャングルのランブータンを食べ、彼らの踊りを披露してくれた。とても伸びやかなしかし足腰の筋肉を必要とする、ゆったりとした踊りであった。年長者の男性は民族衣装を身につけて踊りを披露してくださった。その後、大人も子供も混じっての指輪を使ってのゲームを一緒に楽しんだ。一生忘れることのない滞在となった。

プナンの男性が民族衣装で踊りを披露してくれているところ
今回のマレーシア訪問で、先住民の人々とのコミュニケーションがとれずもどかしさを感じ、又SCCのメンバーの力になる事が中々できなかったという無力感を感じる事もあったが、自分の目で見たこと、体で感じた事、耳で聞いたこと、これら全ては確実に私の知識となっていると思う。
更に、現地に実際に行って物事を見てきたからこそ、彼らと実際に触れ合ってきたからこそ、これから先もサラワク州と繋がり続けたいと感じるし、言語やその他サラワクに関する勉学を積んでいこうと感じた。
皆様が、この記事を読んでサラワクに対し更なる興味を持たれ、また様々な問題に対する解決策を模索する意欲を掻き立てて下さればと思います。