住民が勝訴したルマ・ノル土地権裁判〜控訴審で判決が延期に


トニー・ティエン記者
マレーシアキニ・インターネット・ニュース

2004年3月25日:クチン控訴裁判所は、先住民族の土地に対する慣習的な権利に関する重要な裁判で、サラワク州司法長官からの控訴理由と弁護士からの反論を聞いた上で判決を延期した。

三年前の一審でイアン・チン裁判官は、政府がプランテーション会社のBPP社に暫定的借地権を与えた8854ヘクタールの土地に含まれる672.08ヘクタールの係争地に対して、ビントゥル省スバカイ川のルマ・ノル村のイバン民族住民が先住慣習権を持つことを認定した。
トゥアイ・ルマ(ロングハウス長)のノル・アナッ・ニャワイ氏をはじめとする先住民族に有利な高裁の判決で、暫定的借地権が実質的に無効とされたため、控訴が行われた。

昨日、控訴審の裁判官リチャード・マランジュン氏、ハシム・ユソフ氏、トゥンク・バダルディン・シャー氏は判決を延期した。

この判決は政府に広範囲な影響を及ぼすと思われる。なぜなら、サラワク州の各地で、主にイバン民族やオラン・ウル(奥地の先住民族)が政府を相手取って先住慣習権を主張する50件以上の似たような訴訟を起こしているからである。

控訴審の審理でサラワク州司法長官のJ.C.フォン氏は、1933年土地開拓令(Land Settlement Ordinance 1933)の第66条およびトゥスン・トゥングス[先住民族の慣習法を明文化した公文書]で認められている先住慣習権はトゥムダ地(農地)のみを対象としており、プラウ(原生林)およびプマカイ・ムノアと呼ばれる共有地には及ばないと主張した。

フォン氏は、先住民族たちが権利を主張する土地の総面積が18,000エーカーに及ぶことを裁判官に伝えた。

「しかし、土地調査局長は1,700エーカーの土地に関してのみ、判決への異議を申し立てている。1951年に撮影された航空写真で、係争地が耕作されたことのない原生林に覆われていたことが分ったからである。係争地は、先住民族が政府から許可を得れば占有できる内陸地(Interior Area Land)に当たり、地区行政官から許可証を発行された場合にのみ権利が発生するが、先住民たちは係争地を占有する許可証を地区行政官から得ていなかった。」と彼は述べた。

裁判官の誤り

彼は、一審の裁判官がサラワク州における先住慣習権をコモン・ロー(英米判例法)と同じと判断したのは誤りだと主張した。なぜなら、「コモン・ローはサラワク州における土地所有に関わる事項の扱いには適用されず、オーストラリアの有名なマボー第2裁判でオーストラリアのコモン・ローに基づく判決が下されたことは、サラワク州には関係ないことである」と論じた。

フォン氏は、元トゥアイ・ルマのサピッ氏が係争地にはトゥムダ地(農地)がないと証言し、一審の裁判官がそれを証拠として受け入れたことを裏づけとして挙げた。

フォン氏は、暫定的借地権が発行された時には係争地にはプラウ(原生林)はなかったと述べた。係争地は1984年から1989年にかけて2回伐採され、売れる木材はすべて伐られたという。

二回とも先住民族は伐採会社から支払いを要求しており、一審もそのことを住民がプラウの木材を売却した証拠と認定したと彼は述べた。

また、ラジャ(王)の命令、土地条例、土地法のいずれにも、プラウ(原生林)やプマカイ・ムノア(共有地)の慣習によって土地権が付与されることについては言及していないと彼は主張した。

法令が認める先住慣習権はトゥムダ地(農地)だけを対象としていると彼は強調した。

また、1930年代にサラワク州中部、カノウィット地区からスバカイ川に移住したルマ・ノル村の先住民族とその先祖が係争地に34,000本の果樹を植えた証拠もないと彼は述べた。
一審の命令を取り消し、裁判費用の要求も含め土地調査局長の請求を認めるよう要求した。
正しい判決

一方、被控訴人の代理人、バル・ビアン弁護士は、一審の裁判官が「土地に対する先住慣習権」、「先住慣習地」、「専従慣習法」もしくは「先住民族の慣習」という用語の法律上の意味を区別しなかったことは間違いではなかったと主張した。

彼は、次の通り結論付けた一審の判決文の一部を引用した:「これは、原告(先住民族)の先祖たちが遅くとも1930年にはスバカイ地区に住んでいたことを意味する。しかし、その慣習が一夜にして1930年に出来たという意味ではない。トゥムダ、プラウ、プマカイ・ムノアに関する慣習は、土地と深く結びついたイバン民族の生き方そのものであり、最初のラジャがやってくる(1841年)以前からも存在していた。よって、1930年よりもっと歴史が古いのである。」

一審の審理で政府はこれと異なる見解を示す歴史学者の著述を何も提示しなかったと彼は述べた。「よって、原告とその先祖は、トゥムダ、プラウ、プマカイ・ムノアと呼ばれる先住慣習権を行使したと結論する。」

バル氏によれば、一次林/原生林を農業や作物栽培のために開墾すること(トゥムダ)は、土地に対する先住慣習権を取得する様々な方法の一つに過ぎなかったという。

「先住慣習権はコモン・ローでの権利と同じ意味を持つ。イギリスのコモン・ローは、文書に書き記されていなかった同国の一般慣習を基に昔のコモン・ロー裁判所が編纂し、発展させ、管理したイギリス法の一部である。」

「私たちの先祖たちが具体化し、作り上げた共同体の常識なのだ」と彼は述べた。

本件の事実は先住民族たちが係争地に対する先住慣習権を放棄、喪失および/もしくは抹消していないことを示しているとバルは述べた。

十分な証拠

「アダット・イバン」や「トゥスン・トゥングス」(すでに無効となっている)でプラウやプマカイ・ムノアという用語が使われていないことは「かかる慣習が認められておらず、法律で執行できないとする控訴人の主張を裏付けることにはならない」とバルは述べた。

被控訴人のロングハウスが係争地の外にあるからといって、係争地内で先住慣習権が存在しないとは限らないとバルは論じた。

「事実、1951年の写真が示すように、係争地が1958年よりも前に切り開かれた可能性があることについて、一審の裁判官も我々に同意した」と彼は付け加えた。

控訴状の添付資料に示されたトゥンバワイ/トゥマワイ(ロングハウス跡)が係争地のすぐ近くにあったことも、住民が係争地を占有していたことを示している。

「被控訴人の証言から、彼らが1958年よりも前から係争地を占有していたことははっきりしている」と弁護士は論じた。

先住慣習権は、先住民族でない人が単に係争地で作業をしていたことだけでは抹消されえないとバルは述べた。「それには、先住慣習権の抹消に関する既存の法律の規定に従う必要がある。」

また、係争地は先住民族のプラウなので、その生計基盤であることを示す証拠は十分あると彼はさらに主張した。

「さらに、「1993年イバン・アダット」[イバン民族の慣習法を明文化した公文書]では、「1993年イバン・アダット」に明記されていなくてもコミュニティーが認めるイバン民族の他の慣習も認知され、守られるとしている。」

一審の裁判官が、国連先住民族権利宣言(案)に言及し、普遍的な期待を表すものであるとしたことも正しいことだったとバルは述べた。

「マレーシアは国連加盟国として、人権に関する普遍的な期待を尊重し、守るべきである」と彼は強調した。