シンポジウム「大地と共鳴する人々〜アジア先住民族の苦悩・抵抗・未来」

シンポジウム紹介サイト:
http://jumma.sytes.net/~ainu/index.htm

(2003年11月30日、新宿 常圓寺)

国家、近代化、開発――これらの言葉がまっすぐ信じられた20世紀は、先住民族には過酷な時間でした。世界各地で彼らは森や土地を奪われ、人権を無視され、文化の破壊、虐殺にさえ直面してきました。国連先住民族作業部会では、世界各国での関心の高まりから、1993年、先住民族の権利宣言案について合意しました。しかし10年をへても、宣言で高らかに謳われた彼らの権利は依然、侵され続けています。今回、各先住民族の権利や先住民族の土地について、日本でももっと知って、もっと考えてもらうために、アジア4地域からジョクさん、デバシシさん、カカさん、貝沢さんを招いて、お話ししていただきました。

ジョク・ジャウ・イボンさん(マレーシア、サラワク州、カヤン民族)

私はカヤンという先住民族で、サラワクで起きている問題を伝えるために「ウマ・バ ワン村」から来日しました。

サラワク州は民主主義国マレーシア連邦に1963年8月31日に加入した、ボルネオ島の 西海岸沿いにある非常に独特な地理体系と文化を持った州です。人口は先住民族、非 先住民族合わせて約200万人で、その約半分が先住民族です。私達は主に移動式の焼 き畑で稲作をして生活しています。土地には「耕作地」と火入れせず共同管理してい る「森」とあります。私達は1980年以前、共同体の周りの、「森」を自由に利用でき る権利を持っていて、日常生活に必要な野生の植物を採って生活していました。1980 年代になり、伐採企業が私達の「森」の木々を伐採するようになりました。彼らに誰 から伐採権を与えられているのか、どの土地に対して伐採権を持っているのかを尋ね ても答えは得られませんでした。政府は、地図を広げて大まかに線を引き、伐採権を それぞれの企業に与えていたのです。 私達の祖先は共同体の中で生活していました。一つの共同体は隣の共同体との境界線 をはっきりと持っていましたが、境界線を引くという概念は、1950年代までのイギリ ス植民地時代にブルック王家にもたらされました。この時代、私達の祖先は首を狩 る習慣を持ち、他の先住民族との間で土地を奪い合い、土地を獲得しました。私達の 世代はその土地を守っていかなくてはなりません。しかし、伐採企業は土地とそこに 根付いた伝統や文化を、木を切ることによって破壊してきました。 今、私達はキリスト教徒ですが、ブルック王制以前、独自の宗教と土地全てを信仰 していました。1987年以降、伐採企業は土地を破壊してきましたが、伐採はプラン テーションなど今私達を取り巻く様々な問題を生み出す発端だったといえます。 サラワクに27ある先住民族グループの中にプナンという民族がいます。中でも移動 プナンと呼ばれる人達の生活は森に依存しており、今も移動しながら生活を送ってい ます。現在、移動プナンは約300人と減少しています。私の仕 事場まで、移動プナンの人達が森から3日間歩いて来たことがあります。彼らは伐採 企業に対する不満を申し立てに来たのです。 伐採企業が彼らの「共有林」を伐採しており、生活が脅かされているとい うのです。2002年6月、約700人のプナン人が集まり大規模な会議が開かれました。こ の会議の目的は・プナン宣言を出す・伐採企業への抗議を文書化する・その抗議文書 を関連政府機関に送る、というものでした。現在、伐採権を持つ土地の伐採を終えた 伐採企業は、プナン人達が生活をしている「最後の森」を伐採しようとしているので す。プナン人は本当に今支援を必要としています。彼らの森が一度伐採しつくされて しまうと、彼らの文化までが消滅してしまう可能性が大きいからです。

先住民は、先住慣習権を土地に対して持っていて、その土地のことを先住慣習地と呼 びます。先住慣習権は慣習と伝統に基づき、ブルック王朝期の19世紀以降に獲得さ れました。先住慣習地をめぐり先住民と企業側の間で問題が起きています。先住民が 自分達の慣習地に伐採企業やプランテーション企業が入ってくることに、抗議を始め ているのです。先住慣習地はサラワクの土地法で認められていますが、州政府は常に 土地法を無視し、先住慣習権を認めません。先住慣習権は法律で保証されています が、共同体ごとに土地法の捉え方が違い、先住慣習権に対する解釈が違うことも大き な問題です。先住民共同体は耕さず保存している「森」を持ち、これも先住慣習地の 中に含まれています。しかし州政府側は、1958年以前に耕したことのある土地のみが 先住慣習地だと主張しているのです。この解釈の違いが伐採企業と先住民族共同体の 間の抗争を激しくしています。 統計資料をご覧ください。2000年にサラワクの木材産業が、1,430万立方メートルの丸太 を、2001年は少し減少して1,220万立方メートルの丸太を輸出しています。丸太の他に、 サラワク州政府は加工された木材の輸出を促進しており、2001年はその輸出量も増加 しています。2002年は合板が210万立方メートル中国を含む東アジア諸国に輸出されまし た。伐採権が伐採企業に移譲されている地域には先住慣習地も含まれていて、ほぼ伐採 が終わった地域では、その40%以上がそのまま油やし企業に引き継がれ、油やしを植えられ ています。この伐採などに使われる大型機械はほぼ全て、日本企業が輸出しています。

私達は伐採企業に抗議する為、警察及び関連機関に何度も嘆願書を出しましたが何の 成果もなく無力感を覚えてきました。頼れるのは自分達しかいないという結論に至 り、伐採道路及びプランテーション建設用道路を封鎖することに決めました。実行に 移すと、警察が飛んできて逮捕されました。私の共同体では1982年に42名が逮捕さ れ、14日間拘束されました。道路封鎖を行うにあたり先住民が逮捕され、脅された ケースは数え切れません。

最後に、今日皆さんに私達の苦境を知っていただき、この話をあなた方のお友達にし てもらいたいと思います。日本や国際的な場所で、サラワクの先住民の苦境を話せる 機会は多くありません。日本はサラワク製木材の世界一の輸入国ですから、私達先住 民の苦境を一番知ってもらいたい、私達先住民族が孤立している現状も知ってもらい たいと思います。皆さんが木材を購入するときに、サラワクの先住民のことや、同じ ような苦境に立っている先住民が背後にいると言うことを考慮して買っていただけた ら、と思います。

デバシシ・ラーイさん(バングラデシュ・チッタゴン丘陵地帯、ジュマ民族)

私たち、チッタゴン丘陵地帯(CHT)のジュマ民族は、サラワクやナガランドの 先住民族と同じように、焼畑で稲作を行い、持続可能な方法で森林を利用してき ました。しかし、1770年代にイギリスがやってきて、私たちの領土を占領しまし た。イギリスは土地の個人所有という概念を導入し、私たちの自立した統治制度 を再編しました。イギリスは1947年に撤退し、私たちは、ほとんどが仏教、ヒン ドゥー教、キリスト教のいずれかの信仰を持っているにもかかわらず、「イスラム 教を国教とする」パキスタン政府の管轄下に置かれました。1960年にはカプタイ 水力発電ダムの建設で、10万人のジュマの人々が補償もなく住居を追われ、 私の先祖代々 の家も水没しました。そしてバングラデシュがパキスタンから独立した 1971年以 降は、バングラデシュ政府の管轄下におかれました。パキスタンもバングラデシュ もイギリスと同じ植民地主義的な土地政策を採用しました。一応、選挙制度によ るチッタゴン丘陵地帯(CHT)県評議会を設置しましたが、中央政府の主要な政策は 温存したのです。そして軍を後ろ盾にした移住政策などにより、先住民族でない、 丘陵地帯の外部から来た人々の人口が急増しました。今や、先住民族はチッタゴン丘陵 地帯の人口、約150万人の半分に過ぎません。1971年のバングラデシュ独立の直後、当 時の先住民族リーダーは新政府に自治権と土地権の回復、憲法での先住民族の存 在の認知、カプタイ・ダムの被害者の生活再建を要求しました。しかし、要求は 警察の暴力で撥ね退けられました。その後、20年以上にわたってゲリラ戦が行わ れ、多くの先住民族が虐殺などで殺され、女性のレイプなどの人権侵害で苦しめ られました。今日も、その犠牲者たちは正当な扱いを受けていません。

1997年に和平協定が結ばれ、ようやく内戦が終結ました。この和平協定は開発の 意味を捉え直すという新しい課題をもたらしました。私たちにとって、カプタイ・ ダムやゴムのプランテーションなどは開発ではありません。自分たちで共有林を 管理し、その収益で学校を運営するような営みこそ開発です。もちろん、教育、 医療、通信技術などの援助も拒否しません。しかし、残念ながら、こうしたテーマ は多国間開発銀行や援助国にあまり重視されません。例えば、日本が最も影響力 を持つアジア開発銀行は、私たちの森林に対する権利や環境に非常に悪影響を及 ぼす森林法の改正をバングラデシュ政府に促してきました。私が代表として関わ っているチッタゴン丘陵NGOフォーラムでは、デンマークなど先進的な先住民族政 策を持ついくつかの政府機関と、先住民族の文化を尊重した開発事業を行おうと しています。

平和は「戦争がないこと」と同義ではありません。なぜならば、私たちのゲリラ が武器を捨てて普通の生活に戻ったのに、軍による人権侵害が続いているからで す。正義に基づく平和を再構築することが必要です。

非軍事化、一定の自治権、土地に対する権利を謳った和平協定を如何に実施させ、 土地法と慣習的な権利を強化するのかが今日の最大の課題です。和平協定では、 先住民族が議席の三分の二を持つ地域評議会と県評議会に権限を委譲することが 謳われています。評議会は、初等教育、保健医療、農業など、開発や行政に関す る権限を持つことになっています。しかし政府は未だに地域評議会に権限を委譲 していせん。また、和平協定には、2つの強力な規定があります。保存林以外の 地域では、県評議会の同意なしには入植や土地の譲渡を行うことはできないとし ています。そして私たちの土地の多くが軍を後ろ盾にした入植者に不法に奪われ たので、こうした土地紛争を慣習法に則って解決するために土地委員会を設置す ることになっています。しかし、いずれも実施されていません。

同時に、レイプされた女性や家族を失った人々の心身の傷を如何に癒すのかと いった、和平協定に明記されていない課題にも私たちは直面しています。私たち の社会制度を、人口の少ない民族や女性の権利を尊重する、より公正なものに変 えていく必要もあります。和平協定を7割がた実施できただけでも前進になります が、その最大の阻害要因となっているのは、右翼の原理主義政権が実権を握って いることです。民族的・宗教的な少数者への差別はとても厳しく、権利が法律に 明記されていても、実際には獲得できないのです。

私たちの経験は、他の和平交渉にも教訓となるでしょう。和平協定では、実施方法 を明記することが大変重要です。政府が協定を実施しない場合も、依拠できる国内 法や国際法がないので、私たちは訴えを持って行けるところがないのです。進歩的 なNGOや人権団体、外国政府に支援を求めるぐらいしか手段がありません。日本は バングラデシュの最大の援助国です。日本の援助は、軍による私たちの抑圧のために 直接は使われていないかもしれません。しかし、多額の援助があるからこそ、政府 は戦闘機や戦車などの軍事費に多額の予算を投じることができるのです。バングラ デシュのような貧しい国には、あってはならないことです。援助は常に人権と民主 主義に配慮すべきです。

私たちの慣習法を認める法律をいくつかバングラデシュの国会も通しています。 しかし、国の法律や個人的な土地所有権との関係で問題も起きています。最近、 国際労働機関(ILO)第107号条約と第169条約などで、国際的にも慣習的な土地法が 認められつつあります。日本でも札幌地裁がアイヌ民族の慣習的な土地に対する権 利を認め、米州人権裁判所もニカラグアの先住民族の権利を国家が抹消してはなら ないという判決を出したことには、大変励まされます。慣習法を認めても必ずしも 国家に悪影響を及ぼさないこと、土地と深く結びついた先住民族のアイデンティティ 、そして生態系を守ることに繋がることを各国政府も理解し始めています。

先祖が暮らした場所にはその霊も生きています。私たちの土地、そして領土は、私 たちの心の拠り所なのです。

カカ・イラルさん(ナガランド(インド・ビルマ)、ナガ民族)

神はそれぞれの民族にそれぞれの土地を与えました。だからこそ自分達の土地は自分達のものなのです。 しかしこの簡単なことのために、ナガランドでは56年間で約300万人が死にました。 小さなナガランドがインドと戦うのは蟻が象と戦うようなものですが、我々ナガ人は屈伏しません。

私たちナガの村はそれぞれ独立していて、お互いは平等で民主的です。 そこに19世紀にイギリスがやって来て、占領しようとしました。 しかしナガは激しく抵抗を続けたので、イギリスが支配できたのはナガランドの一部のみでした。 第二次世界大戦後、イギリスが南アジアを去るとき、1947年のインドの独立宣言の一日前に ナガランドは独立を表明しました。 それまでナガランドはインドとは文化的にも歴史的、政治的にも関係はなかったからです。

私は1956年に生まれました。 そのしばらく後に私の村はインド軍によって焼き払われ、母は幼い私を連れて森の中に逃げ込みました。 そういう厳しい状況の中で母は私を「団結すれば勝利する」と名付けました。しかし今のナガは内部抗争に明け暮れています。 インド軍は「降服すれば恩赦する」と逃げたナガに宣伝ましたが、ナガがそれを信じて森から出てくると集団村に入れられました。 1977年までナガの村一つにつきインド軍のキャンプが一つあって監視していたのです。 インド政府はそういった事実を隠すために外国人のナガランド入域を禁止し、インド人の入域でさえも厳しく制限しました。 現在の停戦で、ようやく特別許可あれば入れるようになったのです。

私は経済や技術援助の要請のために日本に来たのではありません。 私は今、止むを得ずにインド旅券を持っていますが、そのことで笑われたり、スパイだと言われたりします。 インドに「帰国」する時も、いわゆるインド人に見えないので疑われたりするのです。 自分はそんなことがなくなって、ただ自分らしくなりたいと望んでいるだけなのです。

私の父は酷い現実を見たし、自分自身も同じように見てきました。しかし自分の子供にはもう見て欲しくありません。 ナガランドはインドでなく、ナガ人はインド人でないのです。 私は自分の本を出版するとき、この本のせいで逮捕拷問されるだろうと覚悟していました。 しかしインドの人びとやインド軍の高官は、私の本を読んで事実を理解してくれました。 インド軍のある指揮官はわざわざ私を招待してくれて、誤った行動をとった部隊があったことに謝罪までしてくれました。 つまり今までインドの一般の人びとに向けてはナガランドの現実ではなく、欺瞞報道が流されていたのです。 ナガは分離主義者で、ギャングあるいは盗賊などとも言われきていたのです。 しかしナガは他人の土地をとるつもりなどないのです。 現在行われている交渉ではインドに軍事外交を委任することを要求されているようです。しかしそれは受けいれられるものではありません。 また現在も停戦中にもかかわらず、暗黒法が施行されたままになっています。 この法律によると、インド軍は令状なしにナガの家宅捜索をし、ナガを逮捕でき、下士官以上の階級なら射殺命令を出すことも許可されているのです。 自分の甥もその法律にのっとり、乗っていた車が怪しいというだけで射殺されました。 自分はペンでさらに世界に事実を知らせ呼びかけることによって戦っていきたいと思っています。

貝沢耕一さん(アイヌモシリ、アイヌ民族)

(左からカカさん、貝澤さん、司会の上村さん)

日本には植民地主義などないと言われていますが、日本もアメリカにならった巧妙な植民地政策を行っていて、そのためにアイヌは土地も言葉も失いました。 日本は朝鮮などを武力で同化しようとした方法では失敗したのに対して、アイヌには文化を奪って同化していく政策をとったのです。 私に言わせれば、アイヌ新法も生きたアイヌ文化を博物館化してしまう埋蔵文化保護法なのです。 私はかつて武力闘争の可能性も考えたことがありますが、アイヌは戦いを望まない民族なのです。 ある国会議員は「日本は単一民族国家」などと言っていますが、そうではなくて、実際にはアイヌや他にコリアン、華僑などの少数民族がいるのです。 権力者達が勝手にアイヌの土地を奪い、さらにまた環境を破壊しています。 こういったことは世界にもっと知ってもらわないといけない。 また日本政府がアイヌを認めるというのなら、アイヌ文化を公的に教えないといけないでしょう。 しかし日本の教育では蝦夷征伐という言葉で歴史を教えているのです。 アイヌが昔の生活に戻るのは難しいです。だから現代に多数者と同じ権利で生きる方法を見いださなくてはいけないのです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 質疑応答ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

質問 先住民の慣習法とはどのようなものですか。またどのような開発を望んでいますか。 ジョク 私たちには慣習法にのっとった儀式があり、大地には精霊が宿っていて、死者は土地に戻っていくと考えています。 どんな開発を望むかというと、自分達の生活の持続が可能な開発です。植林など森林資源の回復を行わなければならないでしょう。 しかし人材の都市流出により、それも難しくなっています。

質問 バングラデシュ政府はILO第169号条約を批准していますか。

デバシシ 第169号はアイヌと日本人の相異といった先住民と多数者の違いを認めるものですが、バングラデシュ政府は第169号条約を批准していません。 しかし以前に批准された第107号にも慣習法を認めるというよい点もあります。 カカ ナガの土地の権利は慣習法にのっとったものです。 自分の名字のイラルは氏族の名前であり、氏族はその土地を持っています。イラルはさらにもうひとつ大 きな氏族そして村に属しています。 またもし誰かが自分を殴ったら、自分の村がその者を殴って復讐するというように帰属意識を持っているのです。

貝沢 自分は新設ダムの準備調査の仕事をしています。 ダム裁判で裁判所はアイヌを先住民族と認めたが、政治家は認めたくないようです。 ダム建設は不法判決が出たが、建設の撤回はせずという結果はダム建設という開発は建設会社のためであり、国土交通省のためでしかないのです。 そのような情報収集のために私は建設の調査に関わっています。

上村 個々の状況を説明してきましたが、みんなで何が出来るのでしょうか。国際ネットワークをどう使っていくのでしょうか。また日本の責任とはなんでしょうか。

デバシシ 先住民の戦略としては問題を国際化することが重要です。 1997年に和平協定が結ばれるまでCHTでは20年間闘争が続きましたが、銃では戦うのではなく国際社会や国連に訴えたいと思っています。 政府がバングラデシュのように他国援助に頼った国なら国際的批判には敏感なので、批判的報道が少しでもあればバングラデシュ政府は気にするのです。 女性活動家が軍に誘拐されたことに対し、国際支援によって批判可能となったりもしました。 しかし国連での先住民族権利宣言起草に対し日本は否定的です。

ジョク 日本企業の日商岩井が地元伐採企業と手を結んでいます。伐採後、早生樹種プランテーションを始めています。 国際ネットワークという点では、国際機関の教えてくれた地図作製技術が先住民族の土地の権利主張の根拠になりました。 以前は自分たちの土地の範囲も不明だったが、資源の確認にも利用できます。 また口伝から歴史を確認しようともしています。

カカ 残念ながらナガはそれ以前にナガの内部でうまくいっていません。 ナガは常に逃げ回りつつインド軍と戦ってきました。それでインド軍の攻撃のためにまともに会議を開催できずにいました。 元々村の間での争いや部族の間の争いがあったのだが、意志疎通の不足のためにそれが再燃したのです。 今までに二千五百人以上のナガ人がナガ人によって殺されてしまいました。 しかし教会が和平のために動いています。 またタイ、オランダ、イギリス、アメリカなどの外国でナガを支援してくれる者が現われています。それらの国でさらに支持を広めていきたいと思っています。 自分のやり方は武器ではなくペンで戦っていきます。

貝沢 中国に行った時のことですが、 アイヌが独立を主張すると流血の事態となるが中国は支援すると約束しました。 でも私はそのような事態は望みません。それよりもその国の法律の下でどうやって戦えるかを考えていくべきでしょう。 ダムの裁判は敗けるだろうが、事実を広く知らせるつもりでやった結果、思いがけず認められました。 しかし国際的にはアメリカは先住民族権利宣言の採択に反対していたり、それに日本が追従していたりする。 こういう活動には先住民族だけでは駄目で、多数派の協力が必要です。 自分は20ヘクタールの土地を買い取って森を維持し、守る運動をやっています。 先住民年にはアイヌを先住民と認めない日本政府の外務省がなぜか不思議なことにアイヌ紹介のパンフレットを作ったりもしました。 平取町も北海道庁も先住民年に何もやるつもりがないので、自分達で13カ国から四千人集めて世界の先住民の国際会議を開催しました。 2005年にはアジアの先住民族会議をやるつもりです。

デバシシ 先住民族に対して使われている差別用語もやめるべきだと思います。 しかしバングラデシュでは憲法では先住民族の立場は保障されていないことが問題です。 また慣習法によって自然保護をしていくべきだとも思います。

上村 日本の援助では環境への配慮はあっても先住民の人権への配慮はないのは問題です。慣習法はどんなもので、どう変わっていくのでしょうか。

デバシシ 慣習法というのはコミュニティの柔軟な法のことです。 森林は現代的法律だと個人所有になるので売られてしまうことがありますが、慣習法はそうではありません。

貝沢 アイヌの土地はほとんど奪われてしまったので、取りもどそうとしています。生活空間がないと本来の文化も維持できないからです。 文化は変わっていくものですが、文化を維持するためには過去のものを知る場所も必要だからです。

上村 日本に慣習法がないかのように思われていることもありますが、実際には日本の慣習法は成文化され法律になっています。

カカ 我々の政府組織のナガ連邦政府は慣習法を基板とした憲法をもっています。また村には村に、部族には部族の裁判所があります。

ジョク 慣習的には土地は自分達のものです。土地裁判を何度もしたが、裁判でも少しずつ認められてきています。 マレーシアの法律では先住権利が認められているが、国際支援でさらに認められるようにしたいと思っています。

トム 日本人の生活は先住民の地域の問題につながっているので、消費生活変えればなんとかなるかもしれません。 企業に対して消費者であるときにも先住民に配慮が必要です。

ジョク ダムの裁判勝利に勇気づけられたし、先住民が調査許可を得られたというのは初めてききました。 自分達は調査結果さえもらえませんでした。 マレーシアももう少しましになって欲しい。

カカ 日本人は忙しくよく働くのを見て感心しましたが、ナガも同じように働けばなんとかなるのかと思います。 あきらめてしまっている人やインド政府の出すお金に敗けてしまう人も多いのです。

貝沢 結局、最後に言えるのは、自分が受け継いだ文化は誰にも妨げられてはならないということです。

以上

今回の招聘事業は、ジュマネット、日本ナガ文化協会と共同で開催しました。シンポジウムの他、海外ゲスト3人による北海道二風谷の訪問、各地のアイヌ民族の方々との交流、11月29日には、先住民族の問題や文化について学ぶワークショップを行いました。その報告は、ホームページなどで行う予定です。