
プナン、ブロッケード設置で逮捕&拘留
2003年8月9日、中流バラム域に住むロング・ルニム村(ロング・ラマの町から東に約100km。図1でLg. NapirからPa' Tikを結ぶ線がロング・ラマよりおよそ100km)のプナンたちは、近隣住民の協力のもと、ブロッケード(道路封鎖)を開始した。80人から90人の同志たちが現場に立会い、ラジョン木材会社がロング・ルニム村の森で伐採操業できないよう道路を封鎖した。このブロッケードに関する一連の出来事がきっかけで、2003年9月4日にはロング・ルニム村のスマリ・サイトが、翌5日にはスマリの父親サイト・キリンが警察に逮捕され、マルーディで1週間、拘留された。サイト・キリンが逮捕された1週間後の9月12日、両者はミリの地方裁判所(Magistrate Court)へ出廷させられ、2003年12月8日に公判が行われるからそれに出頭すること、という条件付で、釈放された。 <この罪状取り下げを求める手紙書きキャンペーンはこちらへ>

2003年8月13日午後3時40分、サラワクの現地NGOは「中流バラムでプナンがブロッケード!」というニュースを受けた。ブロッケードは2003年8月9日に、中流バラムのロング・ルニム村付近、ラジョン木材会社が伐採操業を続ける地域およびその木材搬出経路で設置され、8月13日現在、80人から90人が集まった。ロング・ラマ(マルーディからバラム川を更に上流に3時間上ったところ)から警察が三度ブロッケードサイトへ出向き、プナン人を逮捕しようとしたが、この時点では逮捕者はまだ出ていなかった。ただこの時も、ロング・ラマ警察は更なる警察官配置を示唆し、プナン人達に「リーダーを逮捕するぞ!」と脅しをかけ続けた。
ブロッケード開始から1週間後の8月17日、ロング・ルニム村の住人4人と、サラワク・プナン協会会長のアジャン・キュウは伐採企業のマネージャーとミリで話し合いを行ったが、合意に至ることは出来なかった。その時、カヤンの酋長も同行し、伐採企業にロング・ルニム村の敷地内で森を切ることをやめて欲しいと嘆願したが、合意を得ることが出来ず、最終的には再度現場(ロング・ルニム村付近)で話し合いを持つから、今日は帰って良い、ということになった。
この時、実際には伐採企業はこのカヤン酋長の嘆願を聞き入れ、ロング・ルニム村での伐採操業停止を決めようとしたが、同行したもう一つのプナングループがその決定に異議を申し立て、結局話し合いは決裂した。
今回ブロッケードを設置したロング・ルニム村は、実は昔ロング・テペン村に属していた。当時、伐採企業がロング・テペン村の敷地内に入ってき、現在ロング・ルニム村を構成する人々は伐採に断固反対をした。しかし、ロング・テペン村の中には伐採企業へ操業を許可することで補償金を得たいと考える人々もいた。度重なる協議の末、意見の一致が見られず、伐採反対派はロング・テペン村を後にし、更に2マイル上流へ遡ったところにロング・ルニム村を形成した。しかし、ロング・テペン村はそのあたり一帯の森を自分たちのものだと主張し、ロング・ルニム村が伐採に反対するたびにそれを阻止しようとした。今回のラジョン木材会社との協定も、ロング・テペン村が異議を唱えたために決裂してしまった。
ブロッケードは一時停止されていた。それなのに、9月4日、突然スマリ・サイトは警察に逮捕され、マルーディへ連行された。この日、ブロッケードは完全に停止されていた。伐採企業のボスがプナンに残っている土地を与えることに合意したためだ。しかし、プナンがブロッケードを解除すると、別グループプナン人(ロング・テペン村住人)の協力を得てその伐採企業は抗争地へまた進入を始めた。ロング・ルニム村はそのため、伐採企業のマネージャーとの交渉を再開しようとした。その矢先の逮捕であった。逮捕・連行されたスマリに付き添ったロング・ルニム元村長が警察に逮捕理由を尋ねると、「伐採企業のマネージャーが、君たちプナンが企業と交渉を行う際、武器をもってやってきた!と警察に訴えてきたからだ」、と警察は説明した。確かに、マネージャーと数回交渉を行った際、ロング・ルニム村の人々はパラン(ナタ)、ブローパイプ(吹き矢)およびショットガン(散弾銃)をもって行った。しかし、それはプナンの人々にとってあたりまえのことだ。それらは人を傷つける目的で携行されるのではなく、銃器を自分で責任持って管理することは、プナンにとってとても重要なことなんだ、と元村長は説明したが、警察は聞く耳をもたなかった。パランや吹き矢、ショットガンを交渉の場に持っていったからといって、その武器を使って誰かを傷つけようと思ったわけじゃないんだ。元村長は繰り返し、主張した。しかし警察は更なるプナン人の逮捕をちらつかせ、全く取り合わなかった。
元村長は一旦マルーディからロング・ルニム村へ戻った。そんな中、9月9日、自分たちが今日まで守ろうとしてきた森で、ミリからきた9人の警察機動隊と出会った。その時、村には男はあまりたくさん残っていなかった。サイト・キリンとスマリ・サイトに会いに、村の男たちの多くはマルーディへ下りてしまっていたからだ。その隙を狙って伐採企業のマネージャーは、ロング・ルニム村の森に多くのブルドーザーを持ち込み、その地域一帯を破壊した。元村長は伐採企業が自分たちの森へ入っていくのを止めることが出来なかった。現在、その地域は完全に「オワッテ」しまった。そして今では、軍隊が伐採企業の労働者を守り、プナン人がマネージャーと交渉するのを阻み続けている。(Keruanから送られてきたメールをAaina翻訳)
<SCCコメント>
サラワクの先住民族は、1980年代後半から90年代前半にかけて、自分たちが生活拠点としてきた森を伐採する木材企業に対し、ブロッケード(道路封鎖)という形で呼応し、その模様は当時の熱帯林保護活動と相まって世界中に報道されました。その後、熱帯林ブームが下火になるにつれ、日本での、熱帯林メイン供給地サラワクに関する記事も減り、森を守るためにブロッケードをする代表的なサラワク先住民族、プナンの姿もほとんど報道されなくなりました。それは、一見熱帯林問題が解決に向かい、サラワクの先住民族はブロッケードをする必要がなくなったかのように見えます。しかし実は2000年に入ってからも、中流バラム域に住むプナンによるブロッケードは衰えを知らず、日本で大々的に報道される機会は皆無になってしまいましたが、地道に力強く、行われてきていました(サラワクアップデート過去の号を参照)。今回逮捕者が出たロング・ルニム村も、その中の一つです。
しかし、今回のロング・ルニム村のブロッケード及びスマリ・サイト&サイト・キリンの逮捕はプナンVS伐採企業「ラジョン木材」という簡単な構図ではありません。今回の話は、プナン民族の内部でも伐採賛成派と反対派の複雑な人間関係があり、そこに伐採企業が巧妙な戦法を持ち込むことにより、さらに両者の不協和音を大きくしている実態を浮き彫りにしているといえます。
今回のブロッケードおよび一連の逮捕に関し、SCCは9月6日の運営会議において、RM600(2万円弱)の支援金を、スマリ・サイトおよびサイト・キリンを支援するためにマルーディへ集まったプナンの人々の食料代及び宿代の一部として拠出することを決定し、サラワクへ送金しました。その金額は満額、NGOを通してマルーディに集まっていたプナンの人々に直接送られました。