サムリン社を訴えるプナン人にインタビュー!!

今回のサラワク訪問中、偶然にも裁判のために町に出ていたプナン人原告団一行と会い、話を聞くことが出来ました。

ビロン・オヨイさん(ロング・サイット村村長):私たちはこの歴史的な裁判のために20年間待ちました。初めての裁判なので、どういう結果になるか分かりませんが、勝っても負けても諦めず、最後まで闘うつもりです。私たちは、既に逮捕された経験もあり、それも恐れていません。この裁判のために長い間準備をし、何をしなければならないかも分かっています。次の世代のことを考えて裁判を起こしたのです。

私たちは、東部のプナン人、スルンゴー・プナン人といいます。私たちの先祖であるウンゴという女性の名前に由来します。彼女が籐の釣竿を持って魚を取りに出かけたとき、私たちの最初のリーダー、ルティと出会い、結ばれました。スレーという別の先祖の名前と合わさって「スルンゴー」と呼ばれるようになったのです。私たちは、森を守り、先祖から受け継いだままの状態で残したいのです。それは私たちの責任です。

プルック王朝の時代(1841-1946)、首狩を行うほかの民族も上流に移住してきましたが、私たちは首狩をすることはありませんでした。長老たちによると、当時はサゴ椰子も果物も獲物も十分にあり、必要なものは何でも手に入る、とても幸せな暮らしだったそうです。しかし、今の生活は、伐採のため、昔のように良くありません。会社が勝手に進入してきて木を切っています。また、新しい法律や制度も生活を難しくしています。バラム地域の全てのプナン人は伐採に、そして特にサムリン社に、不満を持っています。

村長たちは何度も会社や州政府に会いに行きましたが、何の成果もありませんでした。そこで、道路封鎖に踏み切ったのです。私もクラサウさんも逮捕され、一ヶ月投獄されました。刑務所では、ほとんど食べ物も与えられず、ひどい目にあいました。私たちの文化では、人をあのように扱うことは考えられません。それでも、子供や孫たちのために逮捕されてもいいと考えたのです。私たちは、人が餌を与えた家畜の肉を食べない習慣を持っています。しかし、牢屋では、そういう不健康なものも食べなければなりませんでした。逮捕されてもいいと思ったのは、多くの人に問題を知らせたかったからです。

森は私たちにとって、スーパーや銀行と同じです。魚や獲物、果物、薬草、籐、吹き矢の棒や毒、何でも手に入ります。多くの人は、私たちが意味もなく道路封鎖をしたと考えていますが、自分の家や台所を守るのと同じことなのです。

ジェームズさん(ロング・ラマイ村):私たちプナン人は、自分たちのためだけでなく、全ての先住民族の権利のために闘っているのです。私たちが勝訴すれば、私たちだけでなく、他の民族も豊かな森や土地を享受し、次の世代のために残すことが出来ます。そのために闘い続けているのです。私たちの村の境界線内には、他の民族も住んでいますが、彼らも歓迎しています。最初の裁判なので、どうなるか分かりませんが、負けても闘い続けます。

ある人は、プナン人は政府の援助を受けているので、もう問題ないはずだといいます。新聞やテレビでも、そう言われます。でも、本当ではありません。私たちと直接会って初めて本当の実情が分かるはずです。私たちは、他に道がなかったので、裁判を起こしました。政府が私たちの声を聞いてくれなかったからです。

ヘンリー・ジョン・ニャリンさん(ロング・クロン村):私たちの戦いは、私の両親の時代から今まで続いています。私たちは、親が残してくれた伝統を、親が亡くなった後も守り続けています。他の民族は先祖のことを忘れるかもしれませんが、私たちは決して忘れません。森の木々を眺め、鳥のさえずりを聞くと、先祖の霊を感じ、強められます。

私たちプナン人は、町の人のように教育を受けていないけれど、自分たちの土地を守るために戦い、声を出す権利はあります。海外の友人たちが私たちの問題を世界中に伝えてくれることを望みます。そういう協力があるからこそ、私たちも続けることが出来ます。誰も私たちのことを知らなければ、何をされるか分かりませんが、外からの支援があるので、警察もそんなに長くは私たちを投獄できません。

次回は私たちの村にも来てください。勝訴すれば、森も生き物たちも助かります。そうしたら森の中でキャンプを楽しみましょう。私たちの戦いを支援する人は誰でも大歓迎です。村に家を作ってもいいですよ。でも、伐採やプランテーションの会社には入ってきてほしくありません。親切にしてくれる人のことは忘れません。

町の人は、土地が1-2ヘクタールあれば野菜やえんどう豆を植えて生活できますが、私たちは、健康でいるためには、森で獲物やサゴ椰子や果物を取る必要があります。そのために広い土地を必要としているのです。私たちは、こんな檻のような建物で暮らすのは好きではありません。空や鳥たちや星を見ながら暮らすのが好きです。森は自然なエアコンでもあります。

1993年に道路封鎖をしたとき、警察は9月28日に催涙ガスなどを使って急に襲いかかり、バリケードを解除しました。催涙弾の影響で、ソニー・ラオットという6歳の少年が数日後に亡くなり、それで病気になったグランテンという老人もその一年後に亡くなりました。伐採では、樹皮に毒を持つ樹木が川の中に落ちるので、水浴びをすると皮膚病になってしまいます。政府は、プナン人のために「生態系保護区」(biosphere reserve)を提供したと言っていますが、そこは伐採跡地でした。誰もそこに行かないで決定を下すから、そんなことになるのです。

他の人たちは、プロジェクトや補償金を受け入れて満足するかもしれませんが、そうすると権利を失ってしまいます。私たちは土地と権利が欲しいのです。開発に反対していると言われますが、そうではありません。自分たちに有益な開発のあり方を自分たちで選びたいだけなのです。

日本政府が、先住民族の権利を認めるようマレーシア政府に働きかけることを望みます。私たちが生きている間に政府に権利を認めて欲しいのです。そして、次の世代にそれを引継ぎたいのです。

クラサウ・ナアンさん(ロング・クロン村村長):

私たちが今も闘い続けていることを外の世界に伝えてください。私たちも、一歩一歩、じっくりと歩んでいくつもりですから、皆さんも一緒に歩んでください。水はいくらあっても、みんなにあげれば、すぐ飲み干してしまいます。しかし、小さな言葉でも、尽きずに世界中に広がることが出来ます。多くの人たちが支えてくれていることを知っているので、勇気を出して闘い続けることが出来るのです。私たちだけで歩もうとしても、夜になったら暗くて歩けなくなります。皆さんの支援は、夜も明るくする灯りのようです。