私の村がダムに沈む(その2)
峠隆一 + ムサ・アガン

ロング・ガン村

 村に着いたとき、私は自分たちの民族がもう誰もそこにいないのを見て悲しくなった。そのような雰囲気は寂しかった。いつもなら、私たちの民族はいつも河口から来る人を見るのに川岸に座っているのだが、その日、その場所は静かで誰もいなかった。川の土手へと続く道はもう低木が生えていた。いつもなら川の土手で水浴びをしている小さな子供たちが見えるのだが、その子供たちももういなかった。普段その日に村でおこなわれる全ての活動がもうそこにはなかった。主人に置いてきぼりをくってほえている犬の鳴き声だけが時々聞こえてきた。その犬はおいて行かれた悲しみを訴えているのか、誰もいなく空っぽになった村の雰囲気を見て悲しがっているのだろうか。私には分からない。しかし、はっきりしていたのは、私はとても悲しかったということだ。
 悲しみは、子供の頃から大人になるまでの私が生きてきた時間や、色々な思い出が詰まった、住み慣れた村でみんなと一緒に生活していたときのことを再び思い出させた。
 ボートは、私がまだ子供だったときにいつも遊んでいた場所の端へゆっくりと移動し始めた。そして、エンジンが止まった。ロング・ガン村に着いたのだ! 私は、鞄や一緒に持ってきたものを持ち上げ、そのまま自分の家の方へ歩いていった。本当はおそらく村は誰もいなくて空っぽのはずだった。しかしまだそこに住んでいる家族がいくつかいた。それは彼らもロング・ガン村を去るのが悲しかったからであろう。以下のような人々が残っていた:

シモンとその家族、ヨアスとその家族、ニタとその家族、スビとその家族、アアンとその妻、アカンとその妻、エピンとその妻、アンパン.サロとルート・ランパン、ブジャンとその妻、バジとロムとバリ・バンだった。

 夜は突然やってきた。私は非常に早く床についた。というのも、しゃべろうとする友達がもういなかったからである。昔は休みで帰省するといつも、ずっと長いこと会っていなかった友達や親戚の所にたえず行っていたので、寝るのが非常に遅かった。しかし、その夜は状況が変わっていた。もう一度つけ加えておくが、夜の時間は本当に誰もいなくて静かで寂しかった。
 村に2日間いた後で、私は実状を見るためにロングハウス全部へ行く時間を作った。私はブラタ・プーンのロングハウス(注:ロングガン村は7つのロングハウスで区分されている)に行ったが、そこの雰囲気は、吠える犬一匹がいるだけで、静かで空っぽだった。この犬の飼い主は誰だろう。犬は吠えながらそのロングハウスを何度も行ったり来たりしていた。その犬を見たらかわいそうでならなくなった。
 私はそのままアパオ・ウビのロングハウスへ進んだ。そこの雰囲気も同じだった。そこからルンポンのロングハウスへ行った。家と家の間には既に低木が生い茂っていた。屋根がもうない家もあった。さらに村の診療所のあたりまで歩いた。そこにあるサッカー場に低木がたくさん生えているのを見て悲しくなった。それはもうサッカー場なんかではなかった。

 サッカー場の端へ立っていたとき、小さい頃からそこで見てきたいくつもの思い出がフラッシュバックしてきた。その全てが私の心の悲しみを増幅させた。私はロング・ガン小学校の方向をじっと見据えた。既に焼かれてしまった建物もあり、屋根のないところも一部あった。
 その後、吊り橋を渡って反対側へ行った。その日の吊り橋の様子はどこか古さびれていた。まるで、再び使われることのない橋のようだった。私は渡るとき、とても気をつけた。反対側へ着いたとき、プーン・ラワのロングハウスは雑草だらけだった。私は周囲の状況に気を配りながらゆっくりと進んだ。パダのロングハウスはまだ完全な状態で残っていた。しかし、その雰囲気は静かで寂しかった。そこで出会った人々はジュマとその妻だけだった。
 端から端まであるいた後、私はパンフルー(注:一つの地区の村々を統括する民族長。政府に任命される)のニャラン=オロイの家へ行った。その家の様子も見た目には良く、完全な状態のままであった。そこではバジやロム、マリ・バンと会った。実は、彼らはコヤンへ移住していったのだが、ロング・ガンで猪猟をするために戻っていたのだ。猪は当時、もう狩猟されることがなかったために、ロング・ガン周辺には沢山いたからだ。
 パンフルー家の部屋全体を歩き回った後、そのままDayaのロングハウスへと向かった。高床式の床下を行ったり来たりしている養豚を除いて、とてもひっそりとしていた。そこに立ち、周りの様子に気を配りつつ深く考え事をしていると寂しくなり、また、よどみなく流れていたガン川やクルアン川を見てなつかしさがこみ上げてきた。子供の時水浴びをしていた場所にいつもあった記憶の中の石はきれいだった。私は言葉がでなかった。ただ、自分たちの民族の運命を思いおこし、深く考えごとをしながらそこに佇んでいるだけだった。
 私は今まで自分たちの民族がおよそ50年住み慣れたロング・ガン村を離れるということについて考えたことがなかったが、その日、私は自分たちの民族が本当にコヤンやタコラン地区のロングラウンへ移住したのだという事実を受け入れなくてはならなかった。

 何分間か考え事をした後、自分の家へ帰った。私はとても悲しかった。その翌日、私はクルアン川の上流、カ・キラン地区まで魚捕りに行った。クルアン川は水かさが減って小さめだったが、少し濁っていた。ロング・ラロ・ラワイ地区を訪ねたときも、やはり悲しくなった。なぜなんだろう?ラロ・ラワイでの思い出のようなことをたくさん考えていたからだろうか?自分でも分からない。言えるのは、私が言い様のない寂しさを感じていたということである。
 ブナ・パル・カ・キランへ着いたとき、また悲しみが増幅し、思い出の石や大きな石、その周辺の様子を見て懐かしくなった。川岸に生えるラランやケリカの木は実をつけ始めたようだ。私は大きな石の上に座りながら考え事をした。雰囲気はそれは寂しいものだった。そこで何分か座っていた後、悲しみを抱きつつ私はボートに乗った。
 村で6日間(99年3月17日〜22日)の休暇を過ごした後、私はタコラン地区へと移住した病気の父を病院に連れていかなければならなかった。99年3月23日の朝、私たちはリナウ橋の方へ出発した。その朝、太陽はクルアン川上流の左の方からいつもと変わりなく昇った。私はまた悲しくなった。なぜなら、もうしばらくすれば、私はおそらく永遠的な別れを村に告げなければならないということを知ったからである。心の奥底で私は泣いた。感情の上では、その日帰りたくなかった。しかし、私は心の中で独り言を言った――「これが、私たちが直面しなければならない人生の現実であり、私たちはこの人生を続けていかなければならない」
 気持ちは落ちついた。悲しい気持ちで私たちはリナウ橋方面へと出発し、そこからタコラン地区へ行く4輪自動車に乗った。

タコラン地区

 タコラン地区のロング・ラセン村に着いたとき、ロング・ガンからコヤンへは移住せず、この地区に移り住んだ我々の民族のロングハウスをいくつか見た。彼らにとって、ロング・ラセン村は、いつまで続くか分からない村を作る新しい土地だった。私はそこで自分たちの民族の何人かと会うことができ、少しほっとした。
 タコラン地区のロング・ブラコ村で2晩(99年3月23日〜24日)を過ごした。タコラン地区にいる間、ボートを使ってタコラン川からクリバ川の河口まで川沿いに進んできたアジャン=ワン兄弟と一緒にいる機会があった。タコラン川を渡ってくる間ずっと、私は同族の人たちがそれぞれの家事を終わらせるとすぐに、ボートで忙しそうに上流や河口へ行くのを見ていた。私の心は昔のロング・ガンにあった、忘れかけていた様子を思い出した。
 ただ、タコラン川沿いの道の様子を見ていたら、少し心境が変化した。その土地や川の様子はロング・ガンとは全く違っていた。本当にかけ離れていた。

さよなら、ロング・ガン

 99年3月25日、私はブラガの町へおりた。27日、そこからバクン行きのスピードボートに乗り、バクンから四輪自動車に乗ってコヤンへ向かった。移動の間中、私の心はもうこれ以上コヤンの実状を見るのに耐えられなかった。私は我々の民族の大半がコヤンへ移住しているため、その地を見てみたかっただけなのだ。腕時計は昼の2時半を指していた。
 コヤンに到着した私は、そこの雰囲気がまあまあ良いものであるのを見て嬉しくなった。村の左右、前後の風景も十分楽しめる。私は言葉がでなかったが、既に述べたように初めてコヤンの地を踏んだので、どこへ向かえばいいのかすら分からなかった。さらに、家は全部同じような外見をしていた。A地区にいた同じ民族の人の助けを借りて、私は親戚の家、つまりコヤンにいる間、私が泊まる場所へ向かうことが出来た。そこにいる間、私はずっと会いたかった同じ民族の人たちのほとんどと会うことができた。ある面で私は喜びを感じていたが、他の面ではやはり悲しみを覚えていた。というのも、我々の民族はすでにバラバラになってしまったからである。タコラン地区にいる者もいれば、コヤンにいる者もいる。
 今私は自分の民族の人々と会うことは出来たが、ロング・ガンの村はなくなってしまった。そのためにどれほど寂しく思っているか正確に伝えることは出来ない。たとえもう新しい土地へ移ってしまったとしても、私の心は永遠にロング・ガン村を覚えているだろう。ロング・ガン村は、私の命がたとえつきたとしても、記憶の中でたえず新鮮なものであり続けるだろう。私はロング・ガンのことを忘れることが出来ない。そこには、小さな頃から大人になるまで、私の人生に影響を与え、人生を形成してきた、ある一つの生活文化を形成している、私たち民族と一緒に生きてきた私の人生の出発点そのものがあるからだ。

・・・・さようなら、ロング・ガン・・・・


SCCホームページへニュースレター記事へ