
サラワクの問題に長年関わってきた森田氏が、今年春、数年ぶりにサラワクを訪れた...
サラワクでかつて伐採を中止させた数少ない村があった。サラワク最長の川のラジャン川。その最上流部のロングガン村がそうだった。「そうだった」と書いたのは、この村はもうないからだ。
もしできるとすれば、シンガポールと同じ面積を持つといわれる東南アジア最大の水力発電ダム、バクンダム。この計画はもう10年以上も前に出されていたが、水没予定の村々からの署名集めに奔走し、それを政府に叩きつけたのは、ロングガンの長老たちだった(「サラワクの先住民」(法政大学出版局)参照)。
しかし9年前、私が村を訪れた時、長老の9人は村人からの信頼を失っていた。商業伐採を受け入れたからだ。
「なぜダムに反対したリーダーたちが伐採を受け入れたのですか?」
と伐採反対リーダーのガラ=ジャロンに問うと、彼は「簡単だ。あの時は賄賂がなかった。今はある。それだけだ」と憮然たる表情で語った。その賄賂の額も1ヶ月に一人300リンギと、町の工場労働者のほぼ半分程度。それだけで、貴重な森を売った。
村長は大概、世襲で選ばれている。ガラはここに反発した。賄賂で伐採を許可するとは何事か。自分たちの村長は自分たちで選ぶ!
9年前の滞在中、たまたま、その準備が進められていた。数百人の村人を前に、ガラが演説に立つ。「この中で今の村長一派を支持する人はいるか?」「いない!」「俺たちの村長は俺たちが選ぶべきだ」
「その通りだ!」「ラン!?(誓えるか!)」。突き出したまま揺れる拳。「ラン!!」。数百人がいっせいに挙げる手。サーッと鳥肌が立った。伐採反対派は村の9割以上。強い村だった。
その数日後、政府の認可なしに、ロングガンは新しい村長、区長の9人を選出した。以後、ガラは各地の村々に遊説の旅に出かけ、人々に問題を訴え続けた。私は、サラワクを移動中に偶然ガラに出会ったこともある。ガラの訴えかけで、伐採阻止の行動に出た村も出た。また、ガラは92年にはヨーロッパにまで3ヶ月の遊説に出かけ、議員を動かした。
サラワクのあちこちに、闘争のリーダーはいるが、ガラほど、その逞しさと優しさの両方を備え、慕われている男性もいない。今、50になったろうか。さて、本誌で何度もお伝えしているように、バクンダム計画は再浮上し、昨年から政府は、水没予定地の15の村から、政府指定の定住地へと村人を移住させている。ロングガンもその一つだが、ガラは、「俺たちがどこに住むかは俺たちが選ぶ」と、定住地への移住を拒否し、ダムの水が来ない、先祖伝来の地ロングラウンへと同意者と共に移住した。しかしその数は、全250家族のうち約60家族と少数だ。あとは政府の用意した定住地へと移住した。多くの人々が定住地へ移るのには様々な理由がある。定住地にいけば多額の補償金がもらえること、ロングラウンにはロングガンにはあった学校も診療所もないので子供の教育を考えて、またある老夫婦の場合は子ども夫婦が移住するのでそれに従って、など理由は様々である。
さてその補償金だが、一体いくら貰えるのだろう。
まず補償対象となるのは、個人の所有物(土地、果樹、家屋など)と公有物(土地など)に分けられる。このうち、私有物の量、大きさは人それぞれだから一概には言えないが、一家族5000〜数万リンギの間くらいになる。さらに、公有物への補償金は赤ん坊も含め、一人一律約4000リンギ(約12万4000円)。即ち、家族の構成員が多いほど、補償金も大きい。10人家族ならこれだけで4万リンギが手に入る。私有物への補償金と合わせると、家族によっては7〜8万リンギを突破する人たちもいる。これは、教師の6〜7年分の給与に相当する。日本でなら、数千万円を手にする感覚だろうか。
ただし、ロングラウンのように、定住地への移住を拒否した人々へは、公有物への補償金は30%のみ。この差は大きい。
今回は定住地へ行く時間がなかったのだが、確かな情報によると、移住組の人々はほとんどが車やテレビを所有している。日本でも、ダムで沈む村の人々が、もらった補償金をあっという間に使い切る感覚と共通している。
しかし問題は二つある。まず、定住地に用意された家はタダではないということだ。約5万リンギ。即ち、補償金からこの額が天引きされる。それでも余るほど補償金をもらった人はまだいいが、足りない人はこれからローンを払い続けることになる。問題の二つ目。定住地に用意された農地は一家族あたり3エーカー(1.2ha)。ロングガンでは、一家族数十haもある広大な焼畑地があったという。3エーカーでは、焼畑は無理だ。定着型農業に取り組める技術を持っている人もいない。1〜2年後、この畑は使い物になるなくなるだろう。補償金も使い果たしてしまった後、一体どうするのか。
実は、答えはもう出されようとしている。
今回、私がロングラウンに滞在している時に多数目撃したのが、定住地からロングガンまで通って農業をする人々だ。ここに、ロングラウンでの生活を選んだ人々は憤る。「ずるいじゃないか。一緒に闘おうともせず、補償金だけ100%もらっている」
バクンダムは、その予算不足からまず着工されないだろうと囁かれている(注1)。事実、ゼネコンのエクラン社は手を引き、韓国の東亜社(ドンア社)も今の契約が終わり次第手を引く。本体工事は全く進んでいない。しかし問題は、計画中止かどうかではなく、計画そのものが、様々な人間関係に決別をもたらしたことだ。ある家族では兄弟が、ある家族では親子が、そして友人が離れ離れになった。
ロングラウンで後ろから声をかけられた。振りかえると、サミンだ!
9年前、ロングガンでは、道路封鎖に参加して8人の若者が逮捕された。その裁判の傍聴がきっかけで、私は8人と共にロングガンに来たのだが、一番、親切にしてくれたのがサミンだった。
「サミン、髪が薄くなったね」「歳だもん。あれから結婚して子どもも二人いるよ」
「そうか、君はこっちに来る方を選んだんだ」「うん。でも悲しいよ。みんなバラバラさ。去年の11月、ロングガンから初めて人が定住地に移住を始めた日、僕は泣いたよ。僕たちは一つにまとまっていたんだ。何で離れ離れにならなきゃならないんだ。僕の5歳の娘も大声で泣いたよ」
ガラと、ほとんど無人のロングガンを訪れた。ここにかつて1000人以上が住んでいた。以前泊まったガラの家はがらんどうだ。ガラ自身は、村人の定住地への移住を感情的には語らない。ただ、ロングガンを歩いている時、ふいにこう呟いた――「おお、ロングガン、ロングガン!」
もっとも彼が闘いを諦めるはずもない。ダム水没予定地15の村のうち、4つの村(注2)が政府の定住地への移住を拒否し、自らの村を作ろうとしているが、ガラ主催で、近日中に、4つが集まり大集会を開催するという。
当局に睨まれているガラは、伐採を止めるバリケードを主導したとして、90年に逮捕されている。「その後ももう一回逮捕されてますよね」と訪ねると「もう一回どころじゃない。俺は4回逮捕されているよ」と、ガハハと笑った。
94年頃、タイに出かけようとしたガラは、出国時に、理由を告げられず、空港の入管に突如パスポートを没収された。政府はガラを徹底的に潰そうとしている。だが、何度刑務所送りにされても、ガラはいつもガハハと笑い、前へ前へと闘い続けている。彼の「相変わらず」には惚れてしまう。
ロングラウンは、これからも学校も診療所もない村としてあり続けるだろう。ガラがどう闘うか。注目していきたい。□
注1:バクンダムは規模を1/3にして再開することがマレーシア政府から正式にアナウンスされた。しかしマレーシアが本当にダムに着工できるのか否かは未だ定かではない。
注2:この数字は今の土地に留まる家族数の多い村の数である。現地団体の調査によると、1999年4月現在、今の土地に残る道を選んだ家族の居る村は大小合わせると7つである。