検証! プランテーションとは何か?
〜児童労働〜
森田 守


 サラワク先住民族があげている「伐採はまだましだ」という声。私自身はこの声と、その声を起こさせるプランテーションの現状を、6年前より機会あるたびに伝えてきたつもりだが、未だ、プランテーションに対して何らかの取組みを見せている団体はないようだ。伐採よりも凄まじい問題。だが、どのメディアも伝えず、どの市民も動かない。そうして、昨年、インドネシアでは、プランテーション開発が主因とみられる、あの森林火災が発生した。そして年末には、サラワクでプランテーション造成に反対する住民が警官に狙撃され死亡した。事態は進んでいる。マレーシアは、世界の半分のパーム油を生産してきた。マレーシア全体で油ヤシプランテーションの開発面積は約220万ha。しかし主産地の半島部ではもはや大規模開発できる土地の余裕がなく、生産増のためには、伐採が終わりかけているサラワクでも「開発」を行う必要がある。プランテーションの歴史の浅いサラワクでは、まだ20万ha足らずの面積しか開発されていないが、調べてみると、この20万haは実に東京都がすっぽりと収まる面積である。伐採の方がなぜましなのかは既に前号で書いたので参照していただきたいが、今回は、もう100年もの歴史をもつ半島部のプランテーションで何が起きてきたかをお伝えしたい。なぜなら、それが将来のサラワクを暗示しているのだから。

■100年前に始まったプランテーション開発

 今世紀初頭、車の普及に伴い、その需要が急激に増加したのがタイヤの原料のゴムだった。当然、労働者が足りなくなる。そこで当時、マレーシアの宗主国イギリスが、労働者確保のために行ったことは、インド南部タミル地方の住民をマレーシアに移住させる事だった。なぜなら、
・ 気候がマレーシアに似ている。
・ 植民地イギリスのやり方を知っている。
・ 生まれつきの被差別民である。
・ 体力があり従順 などの条件に適っている。
からである。
 この移住は強制的になされたものではなかったらしい。だが、新天地を夢見てマレーシアに移住したインド人たちへの現実は厳しかった。
 現在、マレー半島に限っていえば、その人口比率はマレー人、中国人、インド人で6:3:1だが、プランテーションの中になるとその比率は逆転する。マレー半島はどこに行っても、油ヤシかゴムのプランテーションを容易に目にする事ができる。旅行ガイドブックによれば「南国情緒を醸し出す」らしいのだが、そこには、百年前に移住してきた人々の子孫が住み続けている。

■児童労働――ゴムプランテーション

 私は、半島プランテーションに一ヶ月の時間をかけて取材を繰り返した。その中で、忘れられない一人の子どもがいる。
 ある日、現地NGOに一通の手紙が届けられた――「私たち労働者はここRプランテーションで徹底的に搾取されている。時には二日分の仕事をこなすのに、給料は恐ろしく低く、児童労働も一般化している。是非、この状況を見に来て欲しい」。
 NGO職員に同行し、本当に油ヤシかゴムだけの山また山をいくつも越え、Rプランテーションに辿り着いた。まさしく陸の孤島だ。手紙の主Nさんが見せてくれた給与明細書には驚いた。ゴムの樹液のよく出る雨季で月に200リンギ。雨が少ない時期は50リンギ(1800円!)。
 実に多くの子どもたちが働いていた。一四歳で自分の名前すら書けない男の子。ゴムの樹液で、上から下までギトギトになって働いていた一三歳の女の子。
 八歳のインド人の男の子に会う。名はモラリ。終始ニコニコしているかわいい子だった。人なつこそうなその雰囲気に引かれ、私はモラリに話し掛けてみた。

――モラリは学校へは行っているの?
「一年の時は行ってたけど、二年になるときにお父さんが学校へ行くのをとめたの」
――じゃ、お父さんを手伝ってるの?
「ううん、親戚の叔父さんと働いているの」
――お父さんはどこにいるの?
「別のプランテーションで働いているよ」
――なぜ、叔父さんのところに来たの?
「お父さんが叔父さんのところで働けって、僕をこのプランテーションに送ったの」
――お父さんは時々会いに来るの?
「うん。月に二回くらい来るよ」

 これから叔父と作業をするというモラリの後に続くことにした。
 モラリの仕事は、樹液受けのコップに溜まった樹液をバケツにあける作業だ。20本、30本と樹液を回収するうちにバケツを持つ右手が段々下がってくる。それでも、歩く速さを変えることなしに、ゴム林の細道をトコトコとモラリは歩く。一日に600本もの木から樹液を集めるモラリの赤いTシャツとズボンは、樹液でギトギトに黒光りしている。洗濯しても落ちないので毎日それを着ているのだ。
 別れ際にモラリが無邪気に言った。「写真送ってね!」何も知らない無邪気なモラリ。何も知らない・・。そして、モラリだけではない。

■児童労働――油ヤシプランテーション

 首都クアラルンプールから車で一時間。50歳くらいのインド人男性が、10メートルはある鎌を使い、頭上にある油ヤシの果房をギシギシと切り落としていた。大人の胴体ほどもある果房がドスンと鈍い音を立てて落下すると、また次の木へ。男性は、この作業を一日に何百回と繰り返す。大きな果房は地面に落下すると、その衝撃でいくつもの実がバラバラと周囲に飛散する。すぐさま、男性の娘の九歳のレチマと六歳のカレセルビは、スリッパを脱いで散らばった実をスリッパで掃き集める。大きな果房も二人でよいしょよいしょと抱え、工事用一輪車に乗せ、道路脇のトラック集積場にまで運んでいく。
 二人とも学校に行っていない。そして、こんな子どもたちは、80年のマレーシアの国勢調査で、10歳以上14歳以下で約2万2000人いることが明らかにされた(10歳未満の統計はなし)。
 マレーシアでの平均月給は、食堂の給仕で300リンギ(約1万1000円。現在一リンギ35円前後)、工員で500リンギ、教師や銀行員で800リンギといったところだが、プランテーション労働者となると、その額、月に200から300リンギと最低レベル。その300リンギにしても、一人の労力によるものではなく、妻と子供たちを総動員してやっと掴み取ることができる額なのだ。
 10歳の男の子スレシュは学校に行ったり行かなかったりを繰り返し、プランテーションで働いている。私と会う前日は次のような一日だった。

6時 起床。朝食(紅茶だけ)。
7時〜14時 仕事。  
15時半 昼食(カレー)  
16時半 友だちとイグアナ(オオトカゲ)を獲りに行く。三匹捕まえる。
18時 帰宅  
20時 夕食(イグアナカレー)  
21時 就寝

――将来、何になりたいの?  スレシュはこう答えた。
「僕、英語の先生になりたいんだ!」
 同行の現地NGO職員が、後でこっそりと言った――「無理だよ。自分の名前も書けないのに」

 プランテーションで出会った子どもたちは、皆優しく素直な子どもたちだった。小さいモラリはレチマはまだ知らない。自分が何をしているのかを。例えば、この子たちが思春期になり、学校に行きたい、違う仕事に就きたいなあと思ってももう遅い。小学校の卒業証書すらなくては、プランテーションの中で生きるより他ない。プランテーションの中で結婚をして子供を作り、その子供もまた…。マレー半島のプランテーションではその悪循環がもう百年近くも繰り返されている(ただし、マレー人が優先的に働ける国営プランテーションの場合は、労働環境はいいそうだ)。
 賃金が安いということでは、サラワクのプランテーションもかわりない。あまりの安サラリーに地元民が仕事を辞めていくからだ。そして、就職難であること、マレーシアより通貨価値の低いインドネシアから労働者がやってくることになる。今、プランテーションの労働人口の85%が隣国インドネシア人にとって代わられている。彼らは、どんなに悪条件でも決して文句は言わない。
 半島部NGOの職員はプランテーションをこう呼んでいる――『緑の監獄』  次回は、凄まじい農薬汚染、サラワクで10年ほど前に起こった弾圧事件などをお伝えしたい。■


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