サラワクってこんなに暑苦しいところだったっけ?
〜6年ぶりにウマバワン(バラム川中流域)を訪ねて〜
森 達雄(医師)
1昨日からバラム川中流の集落ウマバワンから歩いて2時間ほど西にあるツギ クルワンのロングハウスにお世話になっている。ここはウマバワンから有志を募って別れた、ジョク・ジャウたちの新しい集落である。
暑い。日中の陽射しの下に5分といられない暑さだ。僕は暑さには弱いほうではない。タイに1年半ほど暮らしたことがあるし、スーダンの溶鉱炉の中のよう な熱さにも快感を感じたことすらある。スチームサウナだって大好きだ。その僕 がこのサラワクの暑さに耐えきれないのである。乾燥した砂漠の暑さは、服で 体を覆って直射日光を遮ればなんとかなる。しかし、サラワクの場合は、服を着たままスチームサウナに入っているような苦痛を強いられる。3月中旬は米の収穫期、若者たちは今季の焼き畑の近くの仮小屋に寝泊まりして、陸稲の稲刈りを一日中続けている。なんでも自分で味わってみる主義の僕は、 サラワク流の稲刈りに参加させてもらおうと、今朝ロングハウスから1時間ほど 歩いて、この仮小屋にやってきた。しかし、暑くて小屋を出られないのだ。午前 中は昼寝、揚げた小魚のお昼をご馳走になって、午後もまた小屋に残って昼寝。 小屋の中でも汗と暑さに耐えられなくなると、近くの小川に体を浸す。これは快感。生きていて良かったと思う。メタリックブルーに輝く蝶やトンボを眺めながら、もう動きたくない。それにしても、サラワクって昔からこんなに暑苦しいと ころだったのだろうか?
昔からこんなに暑苦しかったの?夕方、ロングハウスでお年寄りたちに聞いてみた。そんなことはない。昔は陽射しを遮る高い木があった。森から心地よい風が吹 いてきて、畑仕事もずっと楽だった。そう、伐採が始まってからサラワクの気候 は変わったのだ。東京都庁舎に象徴されるような日本の高層ビル建設と引き替え に、サラワクの人々は森の与えてくれる『心地よさ』を失い続けてきた。じわじ わと時間をかけた変化であるために、ここに住む人々でさえも森本来の豊かさを 忘れがちだ。特に若者たちは、伐採や油椰子の会社で得られる現金収入、テレビ 電波の映し出す華やかな都会生活、頭が良くスポーツができる子に育ててくれる ネスカフェのミロ等など、新しい時代の波の上でゆれている。32歳のルイスもそんな若者の一人だったという。油椰子のプランテーションを行う会社で一年間 働いてみたが、会社勤めには未来がないことに気がつき、戻ってきたそうだ。昨 年、彼はバラム川最上流の地域を訪ねた。プナン人が今なお森の中で採集生活を 続けているところである。原生林に入った途端、涙があふれて止まらなかったという。美しい。心地よい。野生の動物、魚、無数の生命に満ちている。そして、 懐かしい。自分が小さい頃には、バラム川中流の家のすぐ近くにもこんな美しい森があったのだ。
前回僕がサラワクを訪れたのは1990年の5月。森林伐採によって先住民 の健康状態がどのように変化しているか調査するためであった。焼き畑農民の集 落と狩猟採集の民、プナン人の住む集落で調査を行ったが、州政府から与えられ た定住地に住むプナン人の状態はとても悪かった。多くの子どもたちが栄養失調や皮膚病におかされており、原因不明の熱病が村中に流行っていた。少人数で移 動しながら狩猟採集を行う先住民に元来、流行病は存在しなかった。お互いに病気をうつし合う機会がまれだからである。定住政策の結果、そんな人々がはじめて、200人以上も一緒に住むことになった。誰かが病気にかかれば、みんなにうつる、そんな危うい状態のなかにプナン人たちはさらされていた。森という持続可能な食糧庫を失い、森という熱帯地域で最も快適な『家』を失い、森に生きるという生活のはりと誇りを失った。そこに未知の病原菌を携えた伐採監督や宣 教師がやってくる。先住民の滅びゆく瞬間を1990年のサラワクに僕は見た。200年前に北米インディアンが、100年前に日本のアイヌが、定住政策と侵略 者によって持ち込まれた病気により人口を激減させた。同じことが、アマゾンの ダム建設地でおき、サラワクで今おきていた。先住民が滅びることは、単に人が 死ぬということではない。何世代にもわたって自然と共存する知恵が消失すること、次世代が生きるための可能性が消失することである。僕たちを含めての人類 の中に備わってきた遺伝子=未来への可能性がぶちっと嫌な音をたてて、また一つ潰れた。帰国後、プナン人と暮らしてきたスイス人ブルーノ・マンサー氏とともに報告会を開いた。あのころが、サラワクキャンペーン委員会の始まりだったと思う。ジョク・ジャウ氏も何回か日本に来てもらった。彼は焼き畑農業で生活するカヤン人 だ。伐採や油椰子プランテーションによって圧迫される自分たちの共有地を守る 努力をしながら、狭められた土地を疲弊させずにすむ持続可能な農業の方法を求めていた。そこで僕の所属していたNGO(JVC)を通じてタイの農民たちと交流を行ったこともある。このジョクと再会することが、今回の旅の目的であった。ジョクは伐採の拠点マルディの町にあるマレーシア地球の友の事務所で、パソコンに向かって不器用な手つきで英文を打っていた。40歳の手習いだという。 英語を習いに行ったともいう。50歳近い農民の彼がなぜ?と聞くと。裁判のた めの提出資料を作るためだという。なるほど、事務所の黒板を見ると30件以上 もの訴訟中の裁判のリストが書き連ねてある。伐採や土地の権利をめぐる先住民 の不法逮捕、ダム建設問題など国や州政府を相手取ったケースが多い。そして、去年の12月、1件勝訴したという。1987年、ウマバワンで伐採道路を封鎖 したジョクの家族や友人たちを州警察が大量逮捕したことに対し、これを不法で はないかと州の裁判所に訴えてきたケースである。10年近くもの法廷闘争の結果、封鎖した道路は集落に住むジョクたち先住民の土地であることが認められ、逮捕には正当な理由がないという判決が下された。裁判に勝つということは大変 なことで、それ以降、ジョクたちに対する警察の態度が一変したという。今なお、道路封鎖を続けているプナン人にとっても大きな勇気づけになった。ジョクは深夜まで、一人でパソコンを打ち続けている。サラワク中の裁判闘争 を実質的にになっているのは 彼を含めてほんの数人だ。農民なのに収穫に携わることもできない。そんな努力 にも関わらず、伐採、油椰子、ダム開発は着実に先住民たちを飲み込みながら、時代を塗り替えてゆく。長い時間をかけて裁判で勝ち、政府の強権力が少し弱ま るまでの間に、自然はさらに壊され、自然とともに生きる知恵は滅び、肝心の若 者たちは企業社会に取り込まれてゆく。うだるようなこの暑さは、そのすべてを 象徴しているように思える。「絶望することはないかい?」ジョクに聞いてみた。『ある。そんなときは残された森に二日でも三日でも一人でこもる。』かれはそう 答えた。カタカタというパソコンのキイを叩く単調な音が深夜のマルディの町に 響く。サラワクの未来も、日本の僕たちの未来も、絶望に満ちているかもしれな い。たとえ、そうであったとしても、今、自分が打てるキイをたんたんと打ち続 けよう。そんな勇気をジョクは分けてくれた。
僕はアジア、アフリカを中心にこれまで40カ国以上をまわってきた。その中 で、どこが一番、居心地がよいかときかれたら、サラワクだと応えるだろう。ロングハウスは優れた居住空間だ。個室と共有空間とのバランスがよく、煩わしくもなく、寂しくもない。天井が筒抜けになっていて涼しい。とくに夕暮れ時がいい。ひな鳥を引き連れた鶏や豚たちが森からぞろぞろと戻ってくる頃、子どもた ちもじゃれ合いながら帰ってくる。年寄りたちがござを敷いて集まり、タバコを巻いたり、地酒を飲んだりし始める。月夜の水浴びは色っぽい。近くの小川で、洗濯したり泳いだり。男女が戯れる。できることなら僕は、ジョクやルイスたちのつくったこのロングハウスで晩年を過ごし、死をむかえたい。その前にもう一 仕事。日本を心地よくする努力をしてみたい。年寄りも子どもも心から楽しめる。お金のためだけの仕事に閉じこもらない。ひとり、ひとりがあきらめず、行動にでる。そんな生き方のための、あの手この手を試し続ける。そうすればサラワク をこれ以上痛めつけずにすむかもしれない。
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