
エコ木材の認定って大丈夫?
松江和子
『地球にやさしい』のキャッチフレーズを使って、木材製品に対して何らかの環境によいという内容の認定やラベリングを行おうという動きが盛んになりつつある。しかし、その『地球にやさい』というのは、誰が、どのような基準で決めているのだろうか。そして、本当に『地球にやさしい』と言えるのだろうか。
1、消費をあおるものであってはならない
どうしても消費者が必要とするものに関しては、できるだけ環境に負荷の少ないものを消費者が選択できるようにするのは大切である。しかし、本当に極力環境に負荷を与えないようにしようとするのであれば、消費を極力押さえていくことが大前提になくてはならない。現在の日本やアメリカのような大量の木材消費を変えずして、その需要を支えるような『エコ木材商品』など存在しないのである。『エコ商品さえ買っていれば環境にいい。』と、消費そのものの問題の免罪符となるようであってはならない。
2、基準への疑問
日本では、現在、間伐材などを利用してある製品に対してエコマークが認定されていると言うが、間伐材が使用してありさえすればどんなものでもよいのだろうか?このままでは、加工の過程で有害物質を発生するような接着材が使用されていても、『地球にやさしい』家具になってしまう。間伐材が使ってあれば、北海道で生産されたものをガソリンを大量に使って九州で消費し、九州で生産されたものを北海道で消費するようなシステムにのっかって流通された物でも、一般の消費者へは『地球にやさしいもの』として販売される。かつて、フロンガスが人体に直接害を与えないものとして評価されていたのが、今はオゾン層の破壊で大問題となっているように、一面から見れば、環境に負荷が少ないようであっても、多面から見れば、環境への決定的なダメージを与えることがある。一面からは環境への負荷が少なく見えても、多面的に見るとそうでないこともある。必要なのは、さまざまな観点からいかに環境に負荷のすくない産業や生活がありうるかを検討、実践し続けていく総合的な取り組みであって、断片的で安易に『エコ商品』を増やすことは、かえって環境破壊の根本原因を見えにくくすることすらあるのではないだろうか。
3、ラベリングへの責任を誰がもつのか?
国際的なレベルでもフォーレスト・シチュワードシップ・カウンシル(FSC)と称して、環境や人権へ配慮して生産された木材を世界規模で認定していく動きがある。しかし、たとえば、軍隊や独裁者が政権を握っているような国では、どこまで草の根の人々が、木材生産に対して率直に意見を述べたり、参加していくことができるだろうか。誰にとっての『草の根』や『地元の住民』の人権を考慮した木材生産になるだろうか。地球の裏側で生産されたFSCによって認定された木材を買うことは、輸送にかかるエネルギー消費量を考えれば、環境上決して薦められるものではない。小さな生産現場が、ひとたび認定によって膨大な国際市場へ紹介されると、小規模で環境への負荷の少なかった生産現場を商業的で環境破壊型の現場へ変えてしまうきっかけをつくる可能性もあるのではないだろうか。このような場合、誰の責任でどのようにモニタリングしていくのだろう。FSCが最後まで責任を持ってくれるのだろうか。現在の日本のような人件費や流通コストが世界でも最も高い国で生産された木材は、FSCの基準にあう海外の人件費の安い国で生産されたものには勝てないだろう。その結果、日本では、ゴルフ場などのリゾート開発や山村文化の荒廃などの問題が深刻化している。世界の環境、森林の状態、文化、産業構造は地域によって非常に多様である。その多様なものを、いくら生産現場では環境を配慮して伐採された木材であっても、ひとたび国際市場にのせると、互いに影響し合わざるを得ないのである。これは日本の木材の価格が、生産や環境コストによってよりも、むしろ海外の安い外材に引っ張られて決められていることからも明らかである。目指すべきは、まず、地域での多様な森林文化や産業のありかたを認め、地域内で循環させる仕組みを確立することである。地域循環型の仕組みを前提としないまま、国際レベルで『エコ認定制度』をつくっていくことは、本末転倒と言わざるを得ないのではないだろうか。
結論として、エコラベルのような、消費が環境に良いような幻想を持たせるようなエコ認定はやめ、むしろ、さまざまな観点から環境循環型の森林との付き合い方を目指した情報の開示に力をいれるべきである。とりわけ、環境保全をその目的とするNGOは、地域の多様性、自立、循環を根本に据えた上で、木材商品の生産、流通、消費の在り方を考えるべきである。言い換えれば、地域循環や多様性を主眼にすえながら、環境に配慮した国際レベルの木材流通に取り組みたければそのような活動をすればよいと思うが、『エコ認定』を行い、専ら国際木材貿易の架け橋となろうとしているのならば、環境保全団体の看板は降ろし、環境にやさしい貿易仲介会社と名乗るべきではないだろうか。
必要なのは、人間の生産や消費活動が大なり小なり環境に負荷を与えることを認めた上で、生産、流通、消費、廃棄など生態系全体に照らして、ではいったいどのようなあり方が、環境への負荷が少なく、人権を配慮したものであるかが十分議論できるような仕組みづくりとそのための情報開示ではないだろうか。そして、その結果としては、地球の裏側から環境に配慮して生産されたものの貿易促進を図ることではなく、できるかぎり、地域で循環させた上で、余ったもの、どうしても足りないものに関して世界レベルで助け合う社会が生まれてくるのではないだろうか。