侵されるサラワク熱帯林の先住民族と日本の責任


★ロン さん(サラワク先住民族)
★アニーさん(マレーシア環境保護団体)
★松江和子(サラワクキャンペーン委員会事務局長)
10/3 於:カンダ・パンセ201号


■サラワクの抱える問題(ロン)

 10年前の先住民族の生活は楽しく自由なものでした。森に出かけて狩りをし、川から魚を捕って暮らしていました。今では様々な問題を抱えています。森林伐採で私たちの土地が切り開かれ、油ヤシのプランテーションを作るために私たちの土地が奪われようとしています。
 先住民族に利益をもたらさない開発プロジェクトにも脅かされています。私たちベラガ地域の住民は、マレーシア政府がバクンダムと呼ばれる巨大な水力発電ダムを作ろうとしていることを知り非常に驚いています。この計画によりシンガポールに匹敵する面積の森林と村が水没してしまうからです。ダム建設により地域住民7000人が他の地域に再定住させられることになります。またこの近くにはサラワク州最大のリゾート開発も計画されています。

■先住民族のライフスタイル(アニー)

 先住民族のロングハウスでは自分の部屋という概念がなく、みんな一緒に暮らしています。持ち物や食べ物も共有し、お互いに住んでいる部屋の中を自由に、特に約束もせずに行き来しています。サラワクを訪れる度に生活だけではなく、さまざまなことを学ぶことができます。
 本当の開発とは何か、森がスーパーマーケットなどよりも豊かで多様な資源をもった場所であること、自然と調和して生きるということなども学びました。これらは教科書からは得ることができないものでした。自分の中の深いところから何かが起こっているのを感じました。

■問題の根本は消費(アニー)

 都会での暮らし方とロングハウスでの生活を比べると、消費生活のあり方などをつくづく反省させられます。サラワクで切られている木材の多くは丸太または合板という形で日本などに輸出されています。
 日本での熱帯材の使用は、建築用が半分を占めています。例えば、コンクリートを固めるための型枠用の合板に熱帯木材が使用されています。この型枠は1〜2回使用されるだけでほとんど使い捨てにされています。使用される熱帯木材が不当に安いためこのような使い捨てが起きています。
 消費を中心にしたライフスタイルは、マレーシアの資源がどのように使われているかという問題につながっています。問題の核心は消費にあります。消費が増え続けるならば、将来の世代をまかなうだけの資源が残されなくなるのは確実です。

■海外に拡がる伐採問題(アニー)

 サラワク州には、日本やその他の国の建築産業の需要に追つくだけの生産力はありません。すでにマレーシアの伐採企業は、パプアニューギニア、ソロモン諸島、ガイアナ、バヌアツ、ベトナムにまで進出しています。そうした国々にも先住民族がおり、サラワクと同じようにその土地に対する権利の問題が生じています。木材消費という問題は避けて通れない重要な問題です。
 私たちだけでこの問題を解決していくことはできません。森林伐採も油やしプランテーションも消費と密接な関係があるからです。問題解決の効果的な道は消費を削減し、シンプルなライフスタイルを追求することにあります。大きな変革も、心の中の小さな変革から始まります。

■先住民族への抑圧(松江)

 なぜ講演会を私の名前だけで広報したかについてですが、これまで伐採の反対を主張してきた先住民族が500人以上も逮捕されてきています。現地の窮状を訴えようと海外へ出ようとすればパスポートを取り上げられてしまう可能性もあり、本当は一人でも多くの人に話しを聞いていただきたかったのですが、今回はマスコミへの広報はできませんでした。

■森と生きるダヤク(松江)

 ダヤク(サラワクの先住民族の総称)は、『森は私たちの命』というように、長い間、果物、野菜、猪や鹿などの森の恵を生活の糧にしてきました。その生活や精神の根底には自然を畏怖、崇拝する精霊信仰があります。伝統的なダヤク社会の行動、価値観、信仰の規範をアダットと呼びます。このアダットでは“森林、丘、土地、家など自然界および超自然界のあらゆるものには魂があり、生命が宿っている。人間にはこれらと調和を保つことが大切である。そして、もしこのバランスが崩れると、家族や社会に災いをもたらす。”と教えています。

■制限される慣習的権利(松江)

 ところが、植民地支配およびその後のマレーシア加盟によって、自らの伝統や慣習法であるアダットにもとづいた生活が、外部からやってきたものたちによって制限されるようになりました。1841年にはイギリスからの入植者ジェームス・ブルックが王となり、土地規制法(1863)を制定し、未利用の土地すべてを政府の所有とし、政府が売買できることとしました。2代目のチャールズ・ブルック王は、1871年に土地規制法を改定し、無断で土地を占拠したものに対しても土地に対する権利を認めたり、1875年には土地命令を定め、土地を切り開いた後に放棄することを禁止しました。これは焼畑のような長い休閑期を持つ農業を制限することを意味します。1899年果樹命令では、土地権利証を持たない限り、土地の移動、売買、譲渡を禁止しました。その後1946年にはイギリスの植民地下に、1952年には『正当に土地を利用している先住民族は、イギリス国王領から土地を借り受けたものである。(1952年に改訂された土地区分例)』と定め、国王がすべての土地に対して所有権があることを公然化しました。そして、1958年には今日にいたるまで最も総合的な土地に関する法律である1978年土地法が制定され、大臣は官報で先住民族の慣習地に対する権利を剥奪することができるとしました。公共目的や土地譲渡を促進する目的であれば大臣の裁量で先住民族の慣習的な土地に対する権利を消滅させることができる(土地法第5条)この法律は、人権とか民主主義とかいった概念をまったく寄せ付けないものです。1953年に制定された森林法では先住民族コミュニティー全体が利用できる森林を共有林として他の森林と区分しましたが、同時にこの共有林は大臣が官報に告示するだけで先住民族から剥奪することができる内容のものでした。
 このような法的制限の他に、サラワク州政府は、換金作物栽培などの開発事業を目的に1972年にサラワク土地開発委員会(SLDB)、1976年にはサラワク土地総合復興機関(SALCRA)、1981年には土地管理開発局(LCDA)と公的開発機関を次々とつくりました。これらの公的機関は、大規模なゴムや油やしなどのプランテーション計画が進める中でダヤクの土地に対する権利を実際に剥奪していったのです。とりわけ、土地管理開発局は、開発を勧めるために必要であれば関係大臣の許可を得て、先住民族の慣習地であろうと強制的に没収する権限が与えられ、ダヤクに有無も言わせず開発計画をすすめようとしいます。 森林伐採の拡大により、命の森を守るため多くの先住民族は林道封鎖などの行動を起こしましたが、このような抵抗を違法とする法律も整備され、警察や軍隊の介入により多くの逮捕者を出しています。

■破壊を拡大させた日本(松江)

 そういう中で入ってきたのが日本だったのです。日本はフィリピンからずっと木材を輸入していましたが、資源枯渇によりインドネシアからの輸入へと移行しました。しかしインドネシア政府が丸太の輸出を禁止すると、サラワクで伐採された木材を大量に買いつけるようになりました。この伐採は先住民族を尊重しない法律や公的機関が整う中で行われてきたわけです。
 伐採跡地や商業価値のある大きな木材がない土地では油やしプランテーションなどが開発されています。そこでは、大量の農薬が使用され、労働者が皮膚病などの被害を受けています。また、先住民族の土地に対する権利も全て奪われてしまいます。できた油やしは、日本を含む海外へ輸出されています。私たちが普段使っている石鹸や洗剤。今、マレーシアはその原料である油やしの最大の供給国です。このようにサラワクの人たちの犠牲の中で日本は支えられてきているのです。
 日本の市民でこのような問題を理解している人は、ごく小数派です。ぜひ皆さんと一緒に考え、話し合って1歩でも2歩でもこの問題の解決につながるように行動していけたらと思います。

※次号へ続きます


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