
サラワク・バコン地区における銃撃事件
裁判資金支援へご協力下さった皆様
1998年5月
昨年12月19日にルマ・バンガ村で起こった銃撃事件について、多大なご関心、ご協力を頂き有り難うございました。また、ご協力下さった皆様への第一回目の報告が遅くなりましたことをこの場を借りてお詫び申し上げます。裁判資金支援総額は67万2千円に達し、SCCから現地の団体へ届けさせて頂きました。去る3月、当会では、事件のあったバコン地区及びロングハウスの状況の確認のため現地を訪れました。銃撃事件のあったルマ・バンガの住民は、事件の衝撃からやっと立ち直り始め、警察の包囲も完全に解かれ、平和な生活を取り戻しつつあります。銃撃で腹部や胸部、腕などに傷を負った2人の住民も、今は傷も完治し、元気な様子で元の生活を営んでいます。
一方、警察は、銃撃された者や逮捕された者に対して未だに罪状を課すことが出来ていません。4月15日にミリの高等裁判所で開かれる予定であった裁判は裁判所の都合により延期となり、次回日程は決定しておりません。詳しい裁判の経過、内容などについては現地と連絡を取りながら、順次まとめ、次回以降に報告させて頂きます。今回は資金支援総額と事件の詳細について先に報告させて頂きます。今後ともサラワク・キャンペーン委員会を宜しくお願い致します。
尚、現地での直接の確認の結果、最終的に逮捕・拘束されたのは9名であったと判明しました。SCCでは当初22名(後23名)とお伝えしていましたが、22名は12月22日にミリの中央警察署に陳述のために連れて行かれた後、同日中に釈放されたということですので、事実上、逮捕・拘束とはなっておりません。逮捕された9名及び死亡1名は、以下の通りです。
事件の際、逮捕:Sylvester Nyelang ak Mundat、Rolly ak Sylvester Nyelang、Jau ak Minggang、Johan ak Jau、Tinggom ak Rangking
病院に送られた後、拘束:Siba ak Sentu、Indit ak Uma、Untuk ak Utom
後日、逮捕:TR. Bangga ak Andap
銃撃のため死亡:Enyang ak Gendang
▼逮捕までの経緯
1988年、サラワク土地調査局は土地管理開発機関(LCDA)とエンプレサ(M)社に対し、暫定的借地権を発行した。住民は暫定的借地権の発行について知らされておらず、それらの土地には先住民族の慣習地の一部が含まれていた。このことが全ての問題の発端となっている。
1997年5月、エンプレサ社の請負企業であったプラナ社が近隣6つのロングハウスの共同林域内に侵入して、ババイ川上流にある住民の土地の一部を開拓した。住民はそれに対して抗議し、プラナ社は操業を停止した。
しかし、11月16日、住民はプラナとスガラカンの両社が再び先住慣習地に侵入して土地や作物を破壊しているのを発見した。
12月1日、バンガ首長はそれら企業による侵入と土地破壊に対する通告書をブルル警察署へ提出した。
12月15日に、住民は企業がそれでもまだ自分たちの土地に侵入しているのを発見した。土地や作物はさらに破壊されていた。この日の午後11時50分ごろに、住民達は企業の活動や土地や作物の破壊について、別の通告書をブルル警察署へ提出した。
12月16日に住民は前日に提出した通告書について聞くためにブルル警察署を訪れた。住民達は警察が企業が慣習地を破壊しないよう対応してくれるよう尋ねたが、警察は住民の訴えを受け入れなかった。住民達はまた、もし企業がそれでも彼らの土地に侵入するようであれば、それ以上被害を被らないように企業のブルドーザーを取り上げるしかないと警察に話した。
その日の午後2時ごろ、住民は依然として企業が慣習地を開拓しているのを見つけた。被害はますます拡大していた。住民は企業に、活動を止めるように言ったが、企業はそれを拒んだ。当局に保護と支援を再三求めても得られなかった住民は、それ以上被害が広がるのを止めるため、やむを得ず3台のブルドーザーを取り上げた。ブルドーザーはロングハウス(ルマ・バンガ)の前に運ばれ保管された。
3人のブルドーザー運転手も一緒にロングハウスに戻るよう求め、共に軽食を取った後に彼らをブルル警察署へ連れていった。警察署で住民は、ババイ川上流で慣習地を破壊していたので3人を捕まえたと説明した。その時、企業の支配人と監督が警察署に着き、ドライバーを連れて帰ってしまった。そして住民は警察にどのように対応するのかを尋ねたが、警察官が返事もせず立ち去ったため、住民はロングハウスに戻った。
12月17日、ブルル警察署の対応に不満のあった住民は2人をマルディ警察署に送り、通告書を提出した。しかし、2人が警察署に着いたとき、警察はロングハウスへ行くので通告書を提出する必要はないと言った。
翌18日の午前10:40頃、アーネスト・サダン(ミリの刑事捜査局長)が警官を引き連れてルマ・バンガに到着した。彼らと共に総合実行部隊(GOF:旧警察隊=PFF)もその場に来ていた。
サダンはバンガ首長に、企業のブルドーザーを取り戻しに来たと告げた。バンガは企業が彼らの土地に侵入して土地や作物を破壊するのを止めることを警察が保証し、企業が今までの破壊に対する補償を支払うのならば、いつでもブルドーザーを持ち帰ってもよいと伝えた。
警察は、どこが住民の先住慣習地であるのかについても尋ねた。首長は慣習地の位置と境界線を示した地図を見せ、どこが企業によって開拓されているのかを警察に見せた。
警察は住民が求めるような保証をすることが出来ないため、ブルドーザーを持たずに帰っていった。
そして企業が住民の土地に侵入してから警察が村に来るまで、企業はいつも刀で武装した暴力団のような人々を連れてきては住民を怖がらせ、脅してきた。
▼事件当日の様子
1997年12月19日、午後1:00前後、警察隊(GOF=旧称PFF)の4台のトラックが到着し、ロングハウス前の道路に止まった時、ルマ・バンガの住民は昼食を取ろうとしていた。2人の私服を来た警官も、白い車に乗って到着した。プランテーション会社のマネージャーと数人の従業員も一緒だった。
警察隊は皆、緑色の制服を身にまとい、M16ライフルや拳銃、棍棒、手錠などで武装していた。
約40名の警察隊はトラックから降りてロングハウスにまっすぐ向かってきた。警察隊は、列の先頭を2名の私服警官と共に歩いていた中国人のチャン・クァン・ユー警部に率いられていた。
警察隊がロングハウス前に来ると、バンガ首長や男女子供などの住民数人は、彼らを迎えにロングハウスから外へ出ていった。
住民は、警察や部隊が名前を書いてくれるよう訪問者リストを持参していただけで、誰一人として何の武器ももっていなかった。
また、誰もアルコールも飲んではいなかった(住民は酔っ払って、コントロールが利かなくなる者が出ることを恐れ、アルコールの摂取を自粛していた)。
バンガ首長が警部と握手をして挨拶を交わそうとすると、突然何の理由も警告も、令状や召喚状もなく、警部はバンガの腕を掴み逮捕しようとしてきた。
バンガはこの理不尽な逮捕に対して抵抗した。そしてその場にいた住民達もバンガの逮捕に抗議した。
すると警部は警察と部隊に住民を逮捕するよう命令した。
住民達は逮捕に対して抵抗したが、警察や部隊について回られ、同時に殴る蹴る、棍棒で打たれるなどの暴力を振るわれた。住民の多くは彼らの妻子供と共に逃れようとしたが、それでも警察隊は人々を追いかけ回した。
その時突然、何の挑戦も挑発もなかったにもかかわらず、警察隊の一人は拳銃を抜き、警告も威嚇射撃もないまま住民の一人に向かって3度発砲しようとした(が発砲されなかった)。彼は標的をエンヤンにかえた。その時、エンヤンは人々の後ろに立って何が起こっているのかを見ていた。そして警察隊の一人はエンヤンの眉間めがけて銃弾を発射した。エンヤンはその場に一瞬にして崩れ落ちた。
さらに数発の銃撃が警察隊によって行われた。そして、シバ・アナ・スントゥとインディッ・アナ・ウマの2人の住民が銃弾を受けた。人々の後ろにいたシバは左胸の下を撃たれ、インディッは腹部、胸部、手首を逮捕から逃れようとする過程で撃たれた。
撃たれたインディッは意識を失い、警察隊によって緊急でブルルの政府クリニックに運ばれ、後にミリ総合病院に収容された。シバも同様であった。
近隣のロングハウスの住民のウントゥ・アナ・ウトムもまた、事件をただ見ていただけであったにもかかわらず、警察隊に頭部を棍棒で殴られ酷い怪我を負った。
ジャウ・ミンガンとその息子であるジョハン・ジャウは、住民がプランテーション会社との話し合いをすると聞き丁度その朝に村に戻ってきた所であった。彼らもまた、暴力を振るわれ、理由も告げられないまま逮捕された。ジャウは殴る蹴るの暴行を受け、ジョハンは殴られた上、後頭部に拳銃を突きつけられ、地面に押し付けられた。
ニェラン・アナ・ムンダとその息子であるローリー・アナ・ニェラン(若干13才)、ティンゴム・アナ・ランキンもまた、警察隊によって暴力を受けた上、理由なしで逮捕された。
以上の5名の住民はエンヤンやウントゥらと共に、警察隊のトラックでミリ総合病院に連れて行かれた。エンヤンとウントゥは直ちに病院に収容された。
他の5名はミリ省警察本部へ輸送され、「なぜお前達はロングハウスで警察と部隊に攻撃をしたのか?」と尋問されることになった。
▼その後、釈放までの道のり
12月20日にはウントゥが、翌日にはシバがそれぞれ病院から出され、ミリの中央警察署に連れて行かれた。
12月22日には22名の住民が陳述のため、警察によって同署に連れて行かれ、その日の内に釈放された。彼らは500リンギ(約2万円)で警察の保釈中の身となった。また、1月22日にマルディ警察署に出頭するよう命じられた。同日、エンヤンとシバの妻、インディの兄姉は警察隊の銃撃に対する通告書をミリの中央警察署に提出した。彼女らは警察に対しての陳述もした。
12月23日にはローリーとティンゴムが、同29日にはジャウ・ミンガン、ジョハン、シバ、インディ、ニェラン、ウントゥらがそれぞれ釈放された。彼らもまた、500リンギで警察の保釈中の身となり、1月22日にマルディ警察署に出頭するよう命じられた。 その間の12月24日にはエンヤンがミリ総合病院でこの世を去った。
12月29日、バンガ首長を含む3名が原告となり、ミリの高等裁判所にてエンプレサ、スガラカン、プラナの3社に対する召喚状の発行と、活動停止命令を求める訴訟を起こした。訴訟の中で、バンガらは特に、エンプレサ社に対する暫定的借地権発行の問題について、それが、優先する現存の「土地に対する先住慣習権」を侵害する違憲のものであるとの判決を求めている。(後にプラナ社はエリアでの操業中止を発表して裁判対象からは外れた)。
1998年1月23日、ミリ高等裁判所で第一回目の裁判が開かれた直後、バンガ首長が逮捕され、ミリ中央警察署に拘束された。
2月2日、バンガ首長が警察により釈放され、刑法148条(暴動での武器又はミサイルの所有)と395条(集団強盗の処罰)の容疑で起訴された。バンガは10日間の拘束で体力的に消耗しており、疲労しているようだった。